12月クラブ通信 平成21年(2009) 12月号 第131号 投稿
“ラバウルの想い出’’ |
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7組 水田 正
戦地のラバウルはニューギニアの北のニューブリテン島の最北端に位置する。北西に、ニューアイルランド島が、北東にブーゲンビル島が在り戦略上の要衝であった。
このラバウルに昭和18年8月に上陸、そして終戦をラバウルでむかえた。いろいろの憩い出や体験があるが、その中で、島民との触れ合い、短い期間の接触を想い出すままに書いてみた。
島民はニューギニア島民で、言語は英語の訛った「ビギン・イングリッシュ」である。だから英語で話しをすると、ほぼ通ずる。
ただ極めて省略された英語であった。
一人称はミイ(me)の一語で、(1)、MY、ME,はmeで通ずる。二人称はユウ(you)の一言でYOU、YOUR、YOUはyo uの一語である。おもしろいことは、三人称はHE、HIS、THEYはなく、島民眼前二人だけが存在するのであって、眼に入らない第三人称は会話の対象にならない。だから「この前逢った君の友達の」と語りかけても「ミ一、ドント、ノウ」。
島民の言葉で「昨日」「今日」「明日」はあるが、一昨日、明後日という表現はない。明後日は「ツモロー、ツモロー」であり、一昨日は「イエスタデー、イエスタデー」であった。
大小を現はすのはビキとリキの二語で、ビキ、ビキと重ねたり、リキ、リキと重ねて話すのである。そしてビキ、リキは物の大小、
重きの軽重、面積の大小、距離の長短などすべてビキかリキで表現するので便利である。
だから手話の様に手で表象する。
ところで、ある日、島民部落から急使が来て、助けてくれ、という。何事かと尋ねたら、蝙蝠が、赤ん坊を入れていた龍をさらって木にぶら下がっている、という。そりゃ大変だといって、部下を連れて駆けつけて救出した。ラバウルの蝙蝠はそりゃ大きいこと驚く。胴体は猟犬と同じ位、翼を手で引っぼって拡げると全長4〜5メートル程になる。昼間でもゆうゆうと翔んでいる怪物みたいである。
そんなことがあって島民部落と親しくなり、酋長とも親しく話をすることができた。酋長は部落の最高の地位者で、いわば政治、行政、司法、裁判などすべてをとりしきっていて部落の平和を保っていた。
「今日は裁判があるから見に来ないか」と連絡があったので見学したことがある。刑罰は鞭叩きであった。そして鞭叩きの執行人は被害者であるから、鞭叩きの軽重は被害者の自由であった。
島民は自給自足であるが、欲しいものがあるときは、相手方と物々交換をしていた。従って貨幣は無い。
ところが、嫁さんを貰うときには、男から女の方へ贈る貨幣があることを知った。どんな貨幣かというと真手貝という小豆(あずき)位の小貝の真中を藤づるで通して長い長い巻ものにしたものである。そしてその巻ものは、胸の中心から片手の中指の先端までが1シルリングであった。酋長の家にあった貝の巻ものは20メートル位はあろうかと思はれた。
島民の苦痛は病気、ケガである。ところが島民には薬らしいものはない。苦痛は我慢するしかなかったのであるが、その苦痛を−ぺんに治療してやって島民からすっかり感謝され親近感を保ってくれた。どんな治療かというと沃度チンキと粉歯磨である。すり傷、切り傷に沃チンをぬってやると、とび上って、サンキュー、サンキューであった。頭痛、打撲に粉歯歴を塗ってやると、スゥーとしてたちどころに平癒して、サンキュー、サンキューであった。「病は気から」ということわざがある。
戦地ラバウルでの作詞 題 「夢」
慰問袋で送られた
紙風船が揺れている
陣屋は高い 椰子の下
昼寝の守りを 蝶がする
夜は更けはてて ジャングルに
朽木(クチキ)をたけば きこえくる
いずこで打つか 蛇皮太鼓
いずこのこえか 笛太鼓
この平和感も昭和18年11月ぐらいまでの4カ月で、日毎に爆撃が烈しくなり、島民部落は遠くに避難してしまった。