必読
評論が無数にありますが原作をお読みになることをおすすめします。
坂の上の雲
のぼってゆく坂の上の青い天に もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
司馬遼太郎
TVドラマ
Stand alone
久世 譲 作曲
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「坂の上の雲」と私 5組 山崎 坦
司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」は産経新聞・夕刊の新聞連載小説でした。私はリアルタイムで読みました。
赤字が連載されていた時期です。
昭和43年(1968年)から昭和47(1972年)年8月まで、4年3ヶ月です。
勤務先の事務所が丸の内でしたから、退社帰宅途上の最寄り駅、地下鉄東京駅で夕刊を購入して、地下鉄丸の内線終点荻窪までの
30分で、詳しく読むことが出来ました。
司馬さんの文章が上手で、毎回’それからどうなるのだろうか’とゆうところで明日の紙面になるわけです。
毎夕、楽しみでした。毎日の短い連載ということが非常によかったと思います。
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[平成11年{1999年)1月から1912年(2001年)6月まで、1年5ヶ月、産経新聞は 朝刊に 最連載をしました。
前回の4日分が1回に当たるのでしょう。
単行本は数種類出版され、関連写真集、評論の類が無数に現れたことはご承知の通りです。]
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初めて連載されたころはどんな時代だったのでしょうか。振り返ってみます。
中国は今 北京オリンピックを成功させ、来るべき上海万博に備えております。
G2が、太平洋をアメリカと二分せんとばかりの勢いです。
日本にも、今の中国と同じような時期がありました。
東京オリンピック昭和39年(1964年)、大阪万博EXPO・70昭和45年。
1968年(昭和43年)=明治100年=戦後23年。1971年(昭和46年)ドル防衛(ニクソン・ショック)円は360円から308円に。
1971年(昭和46年)沖縄復帰。小笠原は昭和43。
1973年(昭和48年)石油危機。 1975年(昭和50年) Summit、G7 先進国への参加。
1980年(昭和55年)Vogel著”Japan as no.1”
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私は商社で石油担当で、電力会社の原油備蓄、供給の一連の仕事をかたずけ、
昭和43年(1968年)には、化学会社の最新コンビナート建設に際し、原料担当に移行しておりました。
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司馬さん生前「坂の上の雲」だけは映像化を許可されなかったのです。
NHKは司馬さんの危惧を超えるべく全力を傾倒していると見ました。
明治維新で国民国家になった日本、そして日本人の初心。
日本の青春時代、38年のサクセス・ストーリー。
100年に、司馬さんが執筆した。
TVは日曜日にBS−H、1CH、BS2の3回、土曜日1CH再放送、計4回放映されます。
必見
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それより100年前
(1805・10)トラファルガー海戦(ネルソン)英が仏(ナポレオン)スペイン連合艦隊を破る。
映画「美女ありき」(原題LadyHamilton)
(1805・12)アウステルリッツ三帝会戦、ナポレオンの勝利
トルストイ「戦争と平和」 映画『戦争と平和」(アメリカ版・ロシヤ版)
1805〜1812年 栄光のロシヤの話・大河小説 ( 1865〜69年 執筆 )
ナポレオンのロシヤ遠征とその失敗
冬将軍(退却の勝利)
1812年チャイコフスキー曲
(1815・06・18)ワーテルロー ナポレオン(仏)が英・プロイセンに破れる。
(1814・9〜1815・6)ウイーン会議
映画「会議は踊る」