二.貨車輸送
(1) 徐州駅にて                                           .

 列車は麦秋の野を北上して徐州に着いた。

 この駅で停車中に、旧知の幹候出身の将校が私を尋ねてきて、次の通り助言をしてくれた。「友人として言うが、君は体が頑健とは思えない。だから三カ月間は余計なことは一切やるな。与えられた仕事だけをしていろ。特に、暇を見つけて幹候の勉強をしたいだろうが、野戦でそれをやれば君は必ず体を壊す。とにかく第一期の三カ月間を病気にならずに過すよう心掛けよ」と。

 私はこの忠告を守った。幹候受験ということは話すら出なかったから別問題としても、最少限度の労働に終始した。逆に言えば与えられた最少限度の仕事を遂行するのに気息奄奄の状態であった。後述するが私は漢口に着くと同時に倒れてしまった。

(2) 初空襲

 開封では空襲にあった。駅から五百米許り市街地寄りに居たとき、「空襲だ」と誰かが叫んだ。見ると機影は一つ。それが吾々の居る方を目指して来る。投下された爆弾まで、吾々に向って来るように見える。吾々は慌てて民家の軒下に入る。何秒かたって爆弾は駅に落ちた。同時にドシンという地響を感じ、民家の藁屋根から土砂が吾々の頭に落ちてきた。

(3) 列車爆破

 新郷に至る間に列車爆破にあった。皎々たる月光の下、かの有名なる麦また麦の中をひた走っていた列車は、轟然たる爆音とともに停止し、その中で仮そめの夢路を辿っていた兵隊は、互の体がぶつかりあい、何事がおきたのかよくわからないまゝ貨車の外に出た。

 見れば、そこには西部劇の一場面のような情景があった。機関車は物の見事に横倒しになり、轟々と白煙を吐いていた。
麦の背丈は二米に垂んとし、貨車から出た兵隊はすべて麦畑の中に埋没してしまった。

 列車爆破の次は敵襲と誰しも感じた筈であるが、それに備える指図は新兵にはなかった。

 私は学生時代の野営で習ったことを思い起こしながら、吾々は今極めて危険な状態の下に居ることを感じていた。とにかく静かだ。機関車が蒸気を噴出する音以外は何も聞えない。隣まで敵兵が忍び寄って来ているかも知れない。私は葉ずれの音にも耳を擬しながら月光の中に立ちつくしていた。