七、大別山脈
うっとうしい梅雨が止んで、部隊は大別山脈にさしかゝった。
先ずどこまで登っていっても耕された畑があった。「耕して天に至る」は何も能登半島の専売ではない。私はその後インドネシャに出張したとき、あの熱帯のジャワ島でも山の頂上まで耕されているのをよく見かけた。東洋人は働き者だ。
この労働に優秀な頭脳が加われば東洋の前途は洋々たるものだ。閑話休題。
大別山脈はそれを越えるのに何日もかゝり、箱娘八里とは比ぶべくもないが、今まで平野の景色を見てきた私にとって、この山脈の景観は所々内地を思わすものがあった。先ず山紫水明があった。支那の河は何れも乳褐色と思っていたところ、この山中では、多摩川の数倍の流れまでも清らかな水を運んでおり、その岸辺は白砂で、加うるに青松が繁るという至れり尽せりの景色が転回した。この川の水は最終的には揚子江に注ぐのであろうが、あの河口から何十粁も濁水を海中に吐き出す長江も、その上流においては、このように奇麗な水を集めているのかと一驚した。
この景色に感嘆してから数日後、同じく大別山中において、大きな林の中で大休止があった。吾々は馬を立木に繋ぐや否や、一斉にバッタリと倒れて昏々と寝入ってしまった。出発の合図で起されて初めて気が付いたが、私の半身は膚まで水浸しになっていた。見れば、寝ていたところは湿地帯で、何時の間にか一面に水を被っていた。すべては真暗闇の中での出来事であるが、余りの睡魔のため、私は横になる地面の状態を確認しなかった結果と思う。こ1で私はマラリヤ蚊に刺されたようだ。勿論そこで寝たのは私一人だけではないから、他の者も同じく蚊に刺されたものと思うが、後日発病したのは私だけであった点から見て、その時私の身体が一番弱っていたのであろう。
とにかく諸悪の根元は睡眠不足であったことは間違いない。私はこのあとどうやら漢口到着までは身体が持った。そして其処が体力のぎりぎりであった。