十 南京にて

 私どもは南京に着いてから貨物厳に行ったことがある。その倉庫の中に収っていた物資の豊富であったことが今でも目の前に浮ぶ。大部隊が何年も自活できるのではないか。それを具体的に弾いてみる興味はなかったが、誰しも同じことを考えたようだ。

 私どもはその倉庫から一袋の米を貰った。この米は売った覚えもないし、上海に持ち帰った記憶もない。おそらく南京の店に置いてきたのではないか。

 私は部隊が解散した後で先ず正金の南京支店に行った。南京は私の前任店でもあるし、旧知も多く、色々と面倒を見てくれた。中でも思い出すのはホロホロボーイというあだ名をつけていた風呂焚の老翁で、私が店に着くや「先生、今日先生が来ると聞いて早くから風呂を湧かして待っていた。もう何時でも入れるから都合がついたら入ってくれ」と言いに来た。私は戦争が終って支那人の態度がどう変化しているか大いに気にしていたところなので、この戟争の勝ち負けに拘泥しない老人の態度が身にしみた。                                
 勿論然るべき日本人行員の好意によることであるが、私はこのようにして風呂に入れてもらい、畳の部屋で寝かせてもらった。この畳の感触を今でも思い出す。何だか体がフワフワと宙に浮いているようで、とりとめがなくて、どこかへ行ってしまうようで、そんな気持で何時の間にか熟睡してしまった。最早や眠いのに起される心配はないし、馬に蹴とばされるおそれもないし、夜襲も、水濡れも、蠍も、虻も、すべて気に懸ることから解放された瞬間であった。