・12月クラブ通信 平成21年(2009) 12月号  第131号  投稿

‘‘つれづれに感じたこと’’

                    1組 鈴木 貞夫

 閑暇(ヒマ)にあかせて兼好法師の“徒然草”を見ていて、他の本で見つけた文章を想い出した。前後相当長文なのを、要点のみ抄出すると、こんな具合になる。

 「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期(シゴ)なり。今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思義なり。
(徒然草137段)
 されば人、死を憎まば生(ショウ)を愛すべし。存命(ゾンメイ)の喜び、日々に楽しまざらんや。(徒然草93段)」  

 年令を加えるにつれ「死」を強く意識するようになり、本を読み、いろいろ考えたりしたが、92歳の今になっても悟り切れない。

 当り前のことだが、ひるがえって「徒然草」にあったように「生」について考えて見た。と言うより、フツとその時、心に浮んだこと
なのだ。

 生きるとは何なのだらうか。生きるとは、何かをしようと考え、それを実現して行くこと、つまり、みずからの意志・意欲を以て、ヒト、コト、或はモノに接して、何かをしようと企画し、実行して行くことではないだらうか。それ故にこそ、誤りも失敗もあらう。喜びもあり悲しみもあらう。責任も生ずるし、反省・後悔も出て来るであらう。そこに「生きる」と云う事実があるのではなからうか。

 ある日の昼寝の「世迷い言」とお笑い下さい。

 雑感のついでに最近読んだ本を2冊ご紹介しておきたい。

 その一つは、田中克彦著「ノモンハン戦争」(岩波新書)である。
 著者は一橋大学の名誉教授で、少々奇矯な傾向のある人だったようだ。併し、モンゴル研究では断然現在の第一人者と言える学者らしい。この本の内容は、一般に日本人に知られているのとは異なり、満洲国軍・日本軍とモンゴル軍・ソ連軍の対戦で、単なる一部兵力による小競り合いとは言えない位の、大量の戦車と航空機が出動し、双方の正規軍に、それぞれ2万人前後の死傷者、行方不明者を出した程の立派な戦争であったのだ。しかもお互い宣戦布告もせず、日本では天皇陛下も詳細にはご存知ない。
全くの関東軍による暴挙だったのである。関東軍は陸軍参謀本部の命令を無視し、一部の参謀たちによって強行された、好戦的な冒険主義に近い、場当り的な計画によって遂行されたものと分析されている。一番強硬に推し進めたのは関東軍参謀辻政信少佐であったと断言している。この敗戦についての反省もなにも見られない。


 第二にご紹介したい本は、平凡社ライブラリーの「昭和史1926〜1945年」半藤一利著である。

 ほぼ文庫本の大きさであるが、545頁に亘る大著である。昭和元年から太平洋戦争の敗戦までの、言うならば昭和の前半の歴史なのである。私などこの歴史の大概のことについては、経験、体感乃至読書、新聞などで承知していると言えよう。併しこのように要額よく示されると「そうだったのか」「そうだったのだ」と思うことばがりである。

 要約して見ると、日清・日露の両戦争に勝って、日本は世界の強国の一つになった。そこからよく言はれるように日本はおかしくなって来る。精神主義に固まり、地に足をつけた科学的・理論的な歩みを軽視するようこなった。特に軍部がそうであった。陸軍よりは少しマシと言はれていた海軍も航空機の発達を無視して、大艦巨砲主義を信奉し、太平洋戦争の末期まで大艦隊同士の決戦を夢見ていたと言はれている。陸軍に到っては同じく中国大陸に於ける戦争の経験のみに頼って兵器の改善やら、後方からの物資の補給、情報の重視やらを怠たり、白兵戦を得意として、兵隊の生命など虫ケラ同然と考え、敵軍の優秀な自動小銃に対し、明治38年制式の三八式
歩兵続に頼っての戦いを強いていたのである。

 大岡昇平の「レイテ戦記」などを見ると、食糧の補給も、弾薬の補充もままならぬ日本兵が、アメリカ軍の戦車にふみにじられ、火焔放射機によって黒こげにされて、死んで行くさまは、眼をおおうばかりである。

 話を元に戻すが、満洲事変・日中戦争など、全く第一線の将校たちは勿論、軍の中枢たる参謀本部或は陸軍省などまでが、ひたすら独善的、排他的な言動に出て、ただただ戦争につつ走り、最後は本土決戦にまで持ち込んで勝つと盲信していたのだから呆れるほかはない。海軍兵学校をも含め陸軍士官学校或は海軍大学校、陸軍大学校での教育はどんなものだったのだらう。

 思い起すことだが、昭和16年12月8日太平洋戦争勃発のラジオ放送を聞き、日本と米・英両国との国力の差を知っていた我々は
「一体どうなるのだ。早い所、和平に持ち込まないと日本は破滅だぞ」と友人同士で憂慮しつつ、一方真珠湾攻撃での戦果には、少々まどわされたものだった。併しこの大戦果も一年持つか持たないかで、アメリカの反攻の前に後退を余儀なくされて行ったのだ。

 その辺の事情が事細かに記述されている。
 天皇機関説、統帥権干犯、憲兵政治等々、天皇のお立場にも触れているし、外交の貧弱さも眼立つ。軍部、特に陸軍の横暴独善が敗戦への元凶と考えざるを得ないのである。又、他方、五・一五事件、二・二六事件、その他多くの暗殺事件など武力、暴力行使の恐怖もさることながら、所謂「国の重臣たち」の無力さ、ジャーナリズムの戦争協力も情ない気がする。それに加えてジャーナリズムに踊らされた我々国民も大いに反省すべきことであったと痛感させられるのである。