12月クラブ通信
平成21年(2009) 4月号 第129号

投  稿]

“私の趣味、私の括仰’’      2組 鵜澤昌和

鈴木貞夫兄から、12月クラブ通信に何か書くようにとのご依頼を受けたので、個人的なことで恐縮ながら、自分の趣味と信仰について記させていただくこととした。

1.私の趣味

多くの男の子と同様に、汽車、電車、自動車をはじめとして機械類に興味を持っていたことと、虚弱で病床でSPレコードを聴くことが多く、姉がピアノを習っていたこともあって、活発に戸外で遊ぶより、家で機械いじりをしたり、音楽を聴くことが好きな子供であったので、ある時、偶然出会った自動ピアノとか、三越本店で聴いたパイプオルガンに、人一倍興味を持ち、自動楽器を見たり聴いたりすることが一生の趣味となった。

しかし、日本では自動楽碁はほとんど無いし、日本の世相もきびしく、そんな趣味は非現実なものとなっていた。戦争が終って平和な時代となり、どういうわけか日本ではオルゴール(註1)が多く見られるようになり、各地にいわゆる「オルゴール館」という名の自動楽器博物館が出現するようになった(註2)。

我が家でも全く偶然に次女夫妻がアンティークの家具や道具類に興味を持ち、海外の競売(オークション)で、廉価に入手できる品を少しずつ買ったりする中に、夢のまた夢であった自動ピアノや自動オルガンも含まれており、

数台の自動楽器を自分で操作することが可能となった。これらの自動楽器によって名人の生の演奏を再現したり、親しい方々に聴いて頂くことや、一個の音源(例えば自動ピアノの用紙ロール)から、さまざまな音色の演奏を試みることなど、自動楽器は目下の老後の生き甲斐となっている。

自動楽器を蒐集して演奏を聴かせてくれる博物館は、オランダ、ドイツなど欧州に大規模なものがあり、アメリカにもミズリー州にあるGAY‘90Sをはじめとして多くのものがあるが、未だ訪ねたことがないし、日本にも前記のように各地に存在するが海外はもとより、国内のものにも、まだ行っていない所があるのでこれらに出掛けることができれば幸いと思って_るが、可能性ば小さいと思う。


2,私の信仰

死はひとつの例外もなくすべての人に起こる避けることのできない現実である。そして、死んだ後にどうなるのかという、死後については、誰も知ることができない。

おそらく多くの人々は、わからないものは仕方がないとして考えないか、或は死ねば何も無くなり、無に帰すると思っており、そうとすれば、何もすることはないとしているのであろう。

また、漠然と「あの世」の存在、あるいは佛教の輪廻転生(生まれかわり)とか、浄土と地獄を信じる人も少くないのかもしれない。
だから成彿(じょうぶつ)を願って死者の葬儀(とむらい)を行うのであろう。
死後について記述した書物も多く存在するし、臨死体験についての記録もある。

日本には神社と寺は多いが、信仰の心を持つ人は少なく「信仰なき国」といわれていて、多くの人は「信じる宗教は?」と問われれば、彿教と答えるか、特に無いと答えることが多い。しかし、佛教、神道をはじめと、して多くの宗教法人が存在し、創価学会など多くの信者を有するものもある。明治時代と太平洋戦争後の一時期にキリスト教が注目されたが、現在に至る迄常に弱小であって信者は全人口の1%を超えることは無く、韓国の10%の10分の1に過ぎない。

このような、いわば棍沌とした状況の中で、自分としては、何としても死後のことについて、自分なりの明確な考え方を持ち、対応すべきであるとの思いが常に強く存在していた。

先ず、死は単なる生命の終りであってすべてが「無」となるのであれば何もすることはないが、そうでない場合に対しては、生あるうちに死後の備えをしなければならない。その方法を自分なりに模索した過程と自分なりの結論を得た理由についての詳細は省略するが、結論として、自分はキリスト教の示す処を受け入れている。

キリスト教受容の理由をごく簡単に要約すると、以下のようになる。

  1.多くの宗教は、現世における幸福、開運とか病気、災厄、苦難の除去、問    題解決などのご利益(ごりやく)を掲げたり、祖先などの霊を供養して災厄    を避け、幸を受けることを目的としたりと、いわば極めて「人間くさい」もの、
    人の思いにもとづく、人の手になる要素が多いように思われる。
  2.これに対して、キリスト教は自らの幸福のために何かをするのではなく、現
    世のご利益を求めるのでもなく、先ず第一に唯一絶対の造物主たる神の    存在を認めることと、神が設けられた死後の魂の救いの道であるイェスキ    リストの贖罪(しょくざい、我々すべての者の罪のあがないのための身代     わり)を信じることのみを求めている。このキリスト教の教義は、人の手に     よって作られたもののようにわかり易くないが、それ故に信じるべきものと    思われた。
    つまり、現世のご利益ではなく、ただひたすら魂の救いを目的としているこ    とこそ、信じるにふさわしいものと考えた。
  3.全世界の多くの知的な人がキリスト教信仰を持ち、日本でも優れた多くの    先人(註3)が信仰を持ったことは、自分の浅薄な判断にまさる大きな指標    となった。
  4.結論として、キリストによる十字架の贖罪を信じることにより、死後は魂の     救いが得られるということに自分は賭けることとした。

以上に自分の一方的な見解を記したので、異論や疑念を持たれる方々も多いと思うが、会員諸兄姉のご参考にして頂ければ幸である。

    註1 オルゴールという言葉は、オランダ語のオルゲン、つまりオルガンか        ら転化したものといわれる日本独特の言葉で、英語ではない。日本        のオルゴールは英語ではミュージック・ボックス(mu si c b o x)。
 
    註2 東京の目白、信濃町などの外、全国各地にあり、河口湖のは規模が       大きい。

    註3 同志社大学創立者新島嚢をはじめ、森永製菓創業者森永太一、白        洋社クリーニング創始者五十嵐健治(三浦綾子『夕あり朝あり』新潮       文庫参照)、内村鑑三(『余はいかにしてキリスト信徒なりしか』講談       社文庫参照)、新涯戸稲造、矢内原忠男その他。