如水会ゝ報 平成21年(2009)12月 第952号p.068


  大阪支部

10月度晩餐会

日時 10月20日(火)18時半〜
場所 関西一橋クラブ
出席 長谷川(昭14)、田中(15)、佐藤(23)、吉田(29)、高野(30)、田辺、福井(31)、坂本、大庭、羽島、瀬野(33)、川合(34)、小峰(35)、瀬川(36)、松岡(37)、大塚、中村(39)、枡田(40)、遠藤、小川、橋本(41)、山本(44)、芦田(45)、天田(46)、野村(59)、徳永(63)、草 譯(平14)、加藤(21)、町野、松村、柿(ゲスト) 
         計 31名
講師 大塚 融 氏(昭39経)

演題
 「大阪支部の至宝・渋沢栄一揮毫『君子之交淡如水』の由来を語る」

 講師は、学生時代は新聞部に属され、卒業後はNHKで活躍された。「NHK大阪放送局70周年誌」等の執筆をされたほか、神戸大学文学部の非常勤講師も経験された。現在は、家訓社訓・数奇者研究家であられ、当晩餐会での講話も7回目で、実に話題豊富な方である。

 渋沢の揮毫の真贋やそれが大阪支部にある理由について、かねて疑問を持っておられたので、今回如水会館で徹底調査された。二日延べ8時間の苦闘の結果、如水会報昭和6年4月号に「渋沢子爵揮毫完成」の記事を発見、その内容から大阪支部が事務所移転を機に揮毫を依頼した事が判明したとのことである。 
 
 又併せ、渋沢史料館にも足を運ばれ、人となり・一橋大学創立の由来・関西財界との関係等を取材された。視野の広い人物で、身銭を切って多くの陰徳を積んだ。彼が日本に持込んだ資本主義は、利益追求と道徳を併せ持ったものであった。一橋大学の前身商法講習所や東京商法会議所の創立は、彼の人材養成に対する熱意が背景にある。第一国立銀行をはじめ多くの起業に関与したが、東洋紡・大阪瓦斯等関西企業も多い。
 
 最後に支部への提言を七つ述べられた。一つはかなり傷んだ至宝の扁額の修復であった。これに対し、遠藤支部長が特に締めの挨拶を行い、修復はなんとしても実行すると確約した。  (芦田記)
  



遠藤大阪支部長のご尽力により今では立派に修復されています。川端一郎(S57経)

(以上は川端一郎君(S57経)が大阪支部より受けたメールを如水会MLに寄せられたものから転載しました。)