如水会会報 Jul 2010 No.959 PAGE 029

  母 校 を 思 う 




一橋大同人よ、
 ノーベル経済学賞に挑戦せよ


  かねこ  はるぞう
兼子  春三
 (S16学後)・


 
ノーベル経済学賞は、
スウェーデン銀行が創立三百周年を記念して基金を寄附したことにより、一九六九年に発足したもので、
二〇〇九年までの四一年間に六四名が受賞した。
受賞者を国籍ないし出生国別に見ると、米四五 (二重国籍者を含む)、英七、ノルウェー三、スウェーデン二、カナダ二、
旧ソ連、オランダ、独、仏、インドが各一であり、米国が独り占めの様相を呈しており、
残念ながら日本人は入っていない。
 
そこで私は、本年初詣に明治神宮に参拝した折、「一橋大の同窓生がノーベル経済学賞を受賞するように」と心願をたて、
太鼓一打奥殿にすすみ、その成就を祈祷した。

 ノーベル経済学賞が斯学の最高水準の研究に贈られるとすれば、
研究に生涯を捧げている大学教授や研究職の人にとって、これを受賞することが、
恰もオリンピックにおける金メダルヘの憧憬心と同様な希望の星となつていると思われる。

ノーベル経済学賞の現況

 ノーベル経済学賞を取得するには、
研究領域や研究方法にどんなものがあるかを調べねばならない。
そのためには、既得の受賞論文を分類整理してみることである。
経済学の領域区分にマクロとミクロがあり、
方法論からは経済理論(関数関係、因果関係等の分析方法)と
経済政策(ここでは広義に解し制度化、非制度を問わず実践経済の領域) に区分するのが妥当と考える。
また理論形成の説明様式からは、存在論的説明形態と規範論的説明形態とに区別できるのではないかと思う。
 
経済学賞の経過を考えるに、
選考主体であるスウェーデン王立科学アカデミーは、
理論・政策を含めて学派的綜合経済の主張が生じてきていたことを重視せざるを得なかったと思われる。
また一九九五年二月には、経済学賞は社会科学と再定義(エコノミック・サイエンス)され、
これにより政治学・心理学・社会学など経済学と接する分野にも可能性が大きく広がった。
同時に、全員経済学者であった五人の審査員のうち、二人は非経済学者とすることが規定された。
 
右の分類基準をもとに、
これが範疇を逸脱する部分を含め、
私は全受賞論文を仕訳してみた。
八つに区分し、簡単に内容を記すと次のようになる。
 
T 学派的統合理論の樹立者

 七〇年受賞のポール・サミュエルソンは「伝統的古典派経済学」とケインズ経済学を統合し、
新古典派経済学派を樹立した。
七四年のハイエクとミュルダールは貨幣理論と経済変動の先駆的業績を残し、
受賞によりオーストリア学派への関心を一気に高めた。
七六年のミルトン・フリードマンは消費分析・金融史・金融理論の業績を評価され、
マネタリズムがまともにみられるようになった。

 U マクロ経済理論

 六九年に最初に受賞したフリッシュとティンバーゲンは、
経済過程の分析に対する動学的モデルの発展と応用に与えられた。
この分野は多く、
七一年のクズネッツから、七二年のヒックスおよびアロー、七三年のレオンチェフ、八〇年のクライン、
八七年のソロー、〇四年のキドランドとプレスコットなど十三が入る。
 
V 経済政策に関する理論と説明原理

 七九年のシュルツとルイスは発展途上国問題の考察を通じた経済発展の研究で受賞した。
八二年のステイグラー(産業構造や市場の役割・規制)、八六年のブキヤナン (公共選択の理論)、
九九年のマンデル (最適通貨圏)、〇八年のポール・クルーグマン (貿易の分析)など、八つが入る。
 
W 個別経済事象の理論と説明原理

 七七年のオリーンおよびミード (国際貿易、資本移動) から、八八年のアレ (市場と資源の効率的な利用)、
九〇年のマーコウィッツ、ミラー、シャープ (資産形成)、九四年のゼルテン、ナッシュ、ハーサニ (非協力ゲームの均衡)、
九七年のマートン、ショールズ (金融派生商品の価格決定)、〇五年のオーマンおよびシェリング(ゲーム理論)など、
八つを数える。

 X 市場分析とその手法研究


 〇一年のアカロフ、スペンス、ステイグリッツは 「情報の非対称性を伴った市場分析」、
〇三年のユングル、グレンジャーは「時系列分析手法」、
〇七年のハーヴィツツ、マスキン、マイヤーソンは「メカニズムデザインの理論」で受賞。

 Y ミクロ経済学(経営経済学的説明理論)の領域

 七八年のサイモンは「経済組織内部での意思決定プロセス」 で受賞、いわゆる制約合理性に光があたった。
〇九年のオストロム、ウィリアムソン (ガヴァナンス論)も含め三つ。
ドイツで開花した経営経済学を視野に入れれば、ノーベル受賞者も変わるのではないか。

 Z 理論構成の前提にある人間像に哲学、倫理学の認識を導入した領域
 
九八年のアマルティア・センの受賞理由は、「所得分配の不平等にかかわる理論や、貧困と飢餓に関する研究」。
東洋人 (インド人) で初めての受賞であり、

この分野の独自性は日本人も得意な領域でないかと私は期待する。

 [ ミクロ経済組織体とマクロ経済組  織体の計算体系に関する領域
 
九一年のコースは「制度上の構造と経済機能における取引費用と財産権も明確化」 で受賞した。

 
以上の観察によりノーベル経済学賞の受賞の軽重の判断を下してみる。
区分Tの領域の受賞は、
開設当初何年かに多く発生したが、その後は少なく、将来においても滅多に生じないと推察される。
ただ学派所属の個人が時事問題として経済事象の独特の評論を展開したものは、
個人選考の対象になりうる (ポール・クルーグマンの例)。
区分UVは受賞の王道であることは間違いない。
また区分Wは比較的若い人に入りやすい分野であり、
近年の受賞者に多くなっていることは、そのことを物語っている。
これは将来に続くであろう。

受賞のための対策
 
元来ノーベル賞は個人の業績に贈られるものであるが、
それが学術に関するものであるから、
個人の所属する大学ないしこれに準ずる組織が問題とされる。
また、多数の競争者中から選ばれるので、
多数の大学や組織を擁する国とかブロックに受賞者が多いことは当然の成り行きである。
しかし、それよりも先ず、受賞意識が高いか低いかに左右されると私はみる。
 受賞するための対策を考えるとき、大学自体がどうあるべきか。
それには長期対策としての体質改善の面と、短期対策としての具体的工作がある。
そのいずれにしても、これを推進するための「期成同盟」(仮称)を結成してはどうかと思う。
 全てを学長の指導力に任せてもよいが、これを援助する組織を大学内ないし如水会内に設けることである。
構成は、現役一橋大教授、定年退役の大学教授、その他ノーベル賞に関心のある一橋大同人など。
特に米大学に就職した者や米大学の名誉教授等は含めるべきと考える。
 これに加えて、学内研究者に対し受賞意識の継続的定着を図り、退職後も受賞テーマの研究開発を続けたい人を支援し、
さらには学派形成のため学内教員スタッフを指導しょうと意図する人も必要であろうし、
例えばアメリカ学界との連携とか受賞のための工作をする人材等も考えられる。
 現在の一橋大学に受賞体制が出来ていないとは言わない。
例えばポーター賞の十年来の定着、『一橋ビジネス・レビュー』 (一橋大学イノベーション研究センター) の発刊内容、
国際共同研究センターの研究テーマなど観察すれば、
ここで採択されたテーマはやがてノーベル賞の対象になることは否定しない。
しかし、私の抱いた心願は、当面の問題として成就して欲しいのである。

     
(経済学博士、元法政大学教授)