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「熊倉実君追悼の辞」
6粗 大野晴里
熊倉実君(平成23年2月5日ご逝去)
天界に住所を移された諸君に申しあげる。
地上在住者とみに減り10%と少々、
当たり前ですよ、
この世に90年をこえて
尚12月クラブ名簿に名を残すのは。
思えば軍政の世の盛りに
大学の卒業期を迎え、
大学入学時に夢にも考えた事のない軍役に、
幸いにも敗戦後の復興に一役を。
今、
私の机上に「1億人の昭和史」
(昭和21年=47年の27年間
の写真と記事。1000ページ程)があり
間を見ては読みかえしている。
1970年(昭和45年)の大阪万博のころには
我々12月クラブ員は
皆社会的にも責任ある地位に居て、
未来を 世界を 日本の担い手として、
侃々諸々、
夫々の立場を堂々と歩いてきた、
それが日本を世界の大国たらしめた原動力の一つと自負しても 差し支えないものと信じている。
友よ、
天空のクラブでも、
この自負を肯定されていることでしょう。
電子機器の発展は今、宇宙開発とともに、どこまで進むか、
私も90の手習いよろしく、iP a dに手を染めている。
ヒヨットすると 天空とメールを交わすやも?
在天の諸君笑わんでくれ、
中学校の国文で習った、
徒然草の第7段、
あだしの野の露のくだりで、
「命長ければ辱多し、長くとも40に足らぬ程にて死なむこそめやすかるべかれ」と。
5、6組のフランス語連中は仏人のプルニエ先生だけで3年間仏語、
一番参ったのが仏語の数の数え方、
90とは20×4+10と発音する、
遠からず会いに行く予定、
でも数の簡単になる100まで待ってて。
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12月クラブ通信平成23年(2011)4月号第135号