●  一橋歌集 ● 
   Click  

12月クラブ通信   平成23年(2011)8月号  第136号

“寮歌祭がすんで”
      
3組   水田 洋 
 
   20世紀が終わるころまでは(といっていいだろう)、
北海道から九州までの、あちらこちらの町で寮歌祭が繰り返し行われた。
その町が寮歌を覚えていてそれを記念しようとするのは、
そこで青春の歌として寮歌が歌われていたから、
すなわち旧制国立高等学校がそこにあったからである。

寮歌が作り継がれ歌い継がれてきたのは、
この学校が(というより文部省が)一貫して守ってきた全寮制度のおかげであった。

国立高等学校は、
三学年編成で理系と文系にわけられ、
第一外国語を英語、ドイツ語、フランス語とするクラスがあったが、
すべての高校で三ケ国語の学習が可能であったわけではないようである。
それにしても、外国語の学習がクラス編成の基準になっていたことは、
国立高等学校の基本方針が、
大学の専門教育のための教養教育であったことを示している。

われわれも、
「予科で英語をやらないで何をやるんだよ」といわれたおぼえがある。
 
寮歌祭の参加範囲はかなり早く拡大されて、
まず大学予科が、ついでおそらく専門学校が参加することになった。
ところが、大学予科は入学資格が高校と同じく中学四年修了で、
内容も一般教養であったが、
専門学校は同じ年齢層ではあるが、
教育内容が本質的に違うのである。
したがって、専門学校の寮歌祭参加が簡単に認められたかどうか疑問である。

ところが、再びところがで、
商大予科が一橋会会歌「長煙遠く」で寮歌祭に参加したのは場違いだったのである。
あれは東京高等商業学校の歌だから「いざ雄飛せん五大州」でもいいのだが、
あまた数ある旧制高校寮歌の中にはこれと調子があうものはひとつもないだろう。

寮歌の基調は青春哀歌であって、
「ああ若き日はかくしてぞ、音も得たてずに消え行くか」とか
「語り明かさん今宵こそ、星影さゆる記念祭」というように、
「いざ雄飛せん」とはならないのである。

したがって、陣羽織姿でこの歌を寮歌祭で歌った藤本先輩も、
その後の韮澤も、場違いの漫画であった。
「あれは嫌いだな」とつぶやいていたのは、
故手塚モーツアルトだった。

 一橋会歌までさかのぼらなくても、
われわれには一橋寮の寮歌がある。
依光作の二編のうち『紫紺の闇』は「自由は死もて守るべし」という超ラディカルな歌詞を持ち、
『離別の悲歌』は加藤登紀子が歌ってくれて女性に人気があるという。
しかしぼくは二つともストレートすぎるようにも思う。
間宮のセンチメンタリズムは寮歌向きなのだが、
こまったことに、かれはどうしても母校や母国を問いたいのである。

 こういうことを考え始めたのは、
松本市に松本高等学校の土地建物を引き継いだ形で設立された旧制高等学校記念館において、
東京商大予科はどのような展示・収納によって代表されるべきかということからであった。
そこで行われた最後の寮歌祭にも参加したが、
とくにわれわれの場合には、
一橋寮も寮歌も「異色短命な国立大学予科」の歴史の、一割さえカヴァーしなかったのである。

ぼく自身は、誰かがすでに予科文芸部の『一橋』を寄贈してくれたので、
それでいいだろうと思っている。

以上