「水田正二君を悼む」

           
     一組 鈴木 貞夫

 平成22年12月29日、
心筋梗塞により心不全となり逝去され、
告別式などすべて滞りなくすまされた由、
本年1月11日
御家族さまよりお電話頂いた。
即日簡単ながら弔文差上げたが、ここに若干補整を加え、彼の死を悼む次第である。



 水田田鶴子様

 先程、御主人様の計報を伺い驚いてをります。
旧年12月15日に十二月クラブ世話人会の折お眼にかかり、
終ってから神保町までボツリボツリ途中一休みしながら御一緒致し、お別れしたのが最後となった訳で、
全く予想もしないことでした。

 世話人会の話でも今年一年は頑張って十二月クラブの行事を全うしようと改めて各自の役割を確認し合ったことでした。
 思えば御主人様は十二月クラブの副幹事長を長年おつとめ頂き、
その後「十二月クラブ通信」の編輯から完成したあとの発送まで手配頂いてをりました。
本当に十二月クラブにとってなくてはならぬお人でした。
残念でたまりません。

あの軽妙酒脱の話しぶり、晩年耳が御不自由になり、我々も笑いながら声を大きくして話しかけたことでした。
そして又、年に一二回日本の良い歌・楽しい歌などのヴィデオを十二月クラブに持参頂き、
前以てそれらの歌の歌詞のプリントを多量に用意して頂いてをり、
集った会員全員で楽しく合唱致したものでした。 

又、遠い台北から上京され、天下の難関校とされていた東京商科大学の学部に合格され、
山口ゼミにて金融論を研究され、銀行に就職されました。
銀行に於ける活躍ぶりは人伝てに伺ってをりました。
九州に於て自行各支店の統轄などなされ、さぞかし十二分に腕をふるわれたことと思います。
思い起こせばキリがございません。

この辺で雑文のペンをおき、
末尾になりましたが、
改めて御主人様のご冥福をを祈り上げると共に、
御遺族様方の御健勝を心からお祈り申し上げる次第でございます。
失礼致しました。
        
平成23年1月11日
鈴木貞夫