左欄のバナー[一橋歌集]をクリックして読んでください。


   寮歌の話
                                         5組 山崎 坦
                                 旧 小平 一橋寮 「北寮13号」  [回顧]学生生活}よりリンク
                                              click                    click

私どもの学生時代憧れた寮歌といえばやはり
一高の 「嗚呼玉杯に花受けて」や [http://www.youtube.com/watch?v=WN4D_LkoAQc]
三高の「紅燃ゆる丘の上」 [http://www.youtube.com/watch?v=vqpEAqe8IAc ]
だったろう。

少年が愛読する雑誌に「少年倶楽部」があって、佐藤紅緑が「ああ玉杯に花受けて」という小説を連載していた。

戦前 小学校六年、中学校五年卒業、入試難関を突破して 高等学校に進学する。

丁度現在の甲子園球児の年頃、まさに青春の入口であった。
旧制高等学校は全寮制であった。

私ども一橋(東京商科大学)の場合は予科が旧制高等学校に相当する。
一橋が寮歌祭に出席したのはこの故である。

一橋の予科に寮(小平)ができたのは昭和11年(1936年)で、この年に私どもの年次が入学し、最初の寮生となった。
全寮制で、旧制高校と全く同じだった。
したがって、同期の(故)韮沢嘉男君が(故)佐藤敏登君調達の陣羽織を着て寮歌祭の一橋の総隊長と称してて張り切っていた。

けれども 一橋の歌を寮の歌とは言わない。一橋会歌「長煙遠く」とか「東都の流れ」と呼んで、取り分けて寮歌とは言わなかった。
これらは大学と予科と、専門部と、教員養成所、全学すべての「一橋の歌」で寮の歌ではない。(寮歌祭で歌うのは構わないが。)

寮歌というなれば「紫紺の闇」ぐらいのものだろう。 [一橋歌集]「歌の旅」 (作者依光さんの解説)次に作曲者の山下さんの解説。

「君よ知れりや」について 作者本田さんの解説によれば大正10年頃より毎年「予科の歌」を作るコンペがあった。
大正13年の入選作で、いわば高等学校の生徒の作で、ほとんどこれが寮歌だというような作品だと思う。
一橋大学消費生活協同組合 企画・制作の 一橋大学愛唱歌集 マーキュリーに集いて に「君よ知れりや」が収録されていないのは甚だ残念である。

12月クラブ・ホームページの [一橋歌集]は如水会公式ホームページにもリンクが貼ってある。曲はメロディーのみ木琴で引いている。
上記赤字の愛唱歌集は吹奏楽の演奏で合唱しているものであるから是非関係ホームページに収録が望ましい。CDが販売されているが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上に関連して「一橋の学問を考える」項より

第63号 増田四郎先生 歴史における世界文明と伝統文化 S62・04・24

の終わりの部分をお読みください。