昭和11年(1936年)東京商科大学予科1年英語副読本


6月劈頭に挙げた”The Apple Tree”のほかに

英語副読本は

Tono−bungay by H.G.Wells

The History by Herodotus

があった。

何れも”The Apple Tree”と同じように Internet で原書を読むことが出来るので
上記にリンクを張っておいた。
そしてこれまた 岩波文庫から邦訳文が出ている。


大学予科が如何に人物の教養を高めようとしているかの意図の一端が解る。

増田先生が「一橋の学問を考える会」最終回で述べられたことが思い出される。(このHP[特別目次]ご参照)
http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/sinronbun/2005_Mokuji/Kyoumonsousyo/dai63gou/Bunmei_to_Bunka_Masuda_Sensei.htm

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(増田先生のお話。抜粋)


 
もしそうだとしますと、話がちょっと飛躍しますが、そしてこれは私だけの長年の考えなのですが、学問の一番基礎になるのはやはり、教養課程、私どもの大学でいえば、昔の予科での学習、すなわち哲学、史学、文学というようなものの教養を徹底的に修得させ、考える若者を育成することだと思います。そしてその上で政治・経済・法律などの社会科学の勉強に進ませる。そうでないとフィロソフィのないコマ切れの単位修得者ばかりになる危険がある。すぐ役に立つ知識も大切ですが、その根底にある知恵を養ってもらいたいのです。いまは自然科学でもこのことに気づいて、いろいろな工夫がおこなわれているほどです。自然科学だけが披行的に進み、社会科学がコマ切れの知識となってしまったのでは、いよいよもって文化の断絶、世代の断絶という由々しい事態を招きかねません。

   むすぴ 
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