NET座談会:学生時代に見た映画 第3回 「雨」
Mon, 9 Jun 2003
松村 次郎 様
山崎 坦
電話でお話した際、貴兄より「学生時代に見た映画」次ぎは「雨」ではと言うお話があり
ました。
そういえば、六月十一日は暦の上「入梅」ですね。季節に合っています。 よろしく
Wednesday, June 11, 2003 (張 漢卿)
Dear Yamatan,
I remember Joan Crawford was the star in "Rain" but cannot recall
who played the priest.
The movie was powerful, unlike most Hollywood movies of those days, because
the story was written by an English novelist.
Somerset Maugham wrote so many touching stories based on the lives of
English colonialists in Southeast Asia.
But I couldn't tell he was a lifelong gay, until after I had read most of his stories.
The SARS situations in Toronto are causing embarrassment in this city.
The son of my next door neighbor, a resident physician at North York
General Hospital, caught it and has just come out of the intensive care
unit.
We try not to go out except for basic necessities.
Thank you for your concerns.
ED
Thu, 12 Jun 2003 (M) 松村次郎
張君宛メール拝見。
偶々当時最も印象に残った映画がThe Rainだったので、ちょっと筆が走ったと云う処でしたが責任上概説します。
確か新宿武蔵館で封切りされ、当時は5流館迄名画は追いかけて5回以上見ていたものでした。
何故印象に残って居るかと云うと丁度試験の前日にも拘わらず5流館芝園館で週間替りの最後の日とて寮から車を飛ばして見に行き車で帰ってきて一夜漬をやって試験に臨んだ覚えが有るからです、当時5人相乗りで出かけた記憶が有りますが
其の中に貴君も居られたと思いますが? (松村君、山崎は北寮13号同室でした。山崎)
映画の内容は次回に譲ります。 1組 松村次郎
Thu, 12 Jun 2003 (Y1) 山崎 坦
NET座談会「学生時代に見た映画」NO3「雨」The Rain
後の編集の都合を考えて発信者イニシアルにNO.をつけさせてもらいます。 (Y1)
1932年(昭和7年)製作だから我々の予科入学の4年も前で松村君のメールの通
り名画座のお世話になるわけですね。
現在もこうゆう映画館があるのかな?
張君のメールの通り、あの映画の舞台はサモア諸島のツツイラ島なのです。
実は戦後間もない時期に五組の故小林悦生君が三菱商亊の水産部から派遣されていま
した。
鮪漁の基地、鮪缶詰工場があった。
色々面白い話も聞きました。今座談に加わって貰 えないのが残念です。
サモアには西サモアとアメリカン・サモアがあり、ツツイラ島はアメリカン・サモア
です。 トンが王国の北方です。
Fri, 13 Jun 2003(M2)松村次郎
The Rain
1932年(昭和7年)
(米)ユナイテッド・アーチスツ
原作 サマセット・モーム
脚本 マックスウェル・アンダーソン
監督 リュイス・マイルストン
撮影 オリバー・T・マーシュ
主演女優 ジョン・クロフォード(娼婦サデイ・トンプスン)
主演男優 ウオルター・ヒューストン(牧師デビッドソン)
The Rain は前後3回映画化されて独逸女優にとっては演り甲斐のある役どころなのだそうで、
当時米のトーキー初期の大女優ジョン・クロフオードが此の役に飛びついて
之が不朽の名作となり彼女の名を世界映画史上に彼女ありとくっきり記録される事になった映画だそうです。
映画の筋は次回に譲ります。 松。
Mon, 23 Jun 2003 (Y2)山崎 坦
梅雨入りしたと思ったら、22日は夏至。
台風が続々接近。気温は30℃を越える有様で、息苦しいこの頃ですが、如何お過ごしでしょうか。
日本は瑞穂の国で雨の恩恵は多分に受けている国ですが,降り過ぎると、瀧のような
急流が堤防を決壊する洪水が起きることになりますね。
何時ぞやバンコックの空港に近ずいた頃、上空から眺めると、一面に田んぼの様に見
えました。
それは河川が一面に増水して溢れている様子だったのです。
黄河、揚子江などの洪水は一面に水位が上がって来て溢れてしまう型ですね。
中東は雨が降りません。クウェイトえ行った時、一年に1度降るか降らない雨が昨日
降ったんだと言われました。
中東では美しいものと言えばお月様で。金と銀との鞍おいて、月の砂漠を行くのであって, アラビアンナイトでも月は出てきますが、太陽はいけないのです。出てきません。
ヨーロッパには雨が降りますね。美しいダニューブ河は溢れます。
パリにはパリ祭の頃夕立が来ます。
「巷に雨の降る如く・わが心にも涙降る」
(心の方は涙と訳しているんですが、わたしは雨の方が好きです。
Paul Verlaine
Il pleure dans mon coeur Comme il pleut sur la ville;-----)
ロンドンのシティでは山高帽と細身の雨傘と言うことになっていますね。
「ロンドンの雨はとってもドライなんです、濡れても直ぐ乾きます。」とは駐在員の
話です。
冬のロンドンは陽が差しません。「君が来たら滅多差さない陽が差した」と言われた
ことがありました。
ヨーロッパは南のピレネーを越えると,スペインはアフリカのようにドライです。
Dear ED ,アメリカ、カナダの雨はどうですか?
ハワイにはカウアイ島、ガーデンアイランドといはれる島があります。
その島のワイアレアレという山には年中雨が降っている。
「雨」を書いたサマセット・モームはハワイ・オアフ島のホノルルからサモアえ船で
いったのだそうです。 当時は文化果つる南太平洋の絶海の島で、丁度雨季だったらしい。
あの島に駐在したことのある故・5組小林悦生君からは雨の話は聞かなかったと思い
ます。
彼は戦後間もない頃、空路南から、ニュージーランド(英領)経由で赴任した。
ニュージーランドは敵国だったから、日本人をお行儀の悪い人種と白眼視していた様で、
食堂で一寸でも食器の音を出したりしたら、舌打ちされたらしい。
彼の話の印象では、サモアは楽園で土着の人々は、ひぐらしギターを奏でて歌って過 ごす。
「あなたはなんで働くの?」といわれた。 食べ物は周りの木々にたわわに実っていた。ということです。 笑い話に、インドネシアのミツバチは蜜を集めないのだそうです。年中花が咲いてい て蜜があるから。とか。
サモアは元独逸領だったのが独逸が負けて米領になった。独逸人との混血児は美形 だったそうです。 ではまた。
Wed, 25 Jun 2003(Y3)山崎 坦
先月 日生劇場で公演されていた
宝塚歌劇ミュージカル「雨に唱えば」
シンギン・イ ン・ザ・レインSingin’ in the rain を見ました。
Singin’ in the rain といえばMGM映画、1952年ジーン ・ケリーの作品でTVの回顧番組でジーン・ケリーのどしゃ降りの雨の中、雨傘をさ してタップを踊る場面を嫌と言うほど見せられたものでした。もう結構。
そう言う印象しかなかったのでどうなることかと思いながら見たのですが、これが面
白かった。
話はもともと「雨に唄えば」でなくてもよかったので、たまたまこの曲を呼び物にし たんであって,前回「パリ祭」座談会の時にでたんですが、
無声映画時代にトーキーがはじめて登場した時の話をテーマにしたものなのでした。
(*)
無声映画のスター・ヒロインが声が悪くて(意地も悪いんだが)、吹き替えで陰で
歌った主役男優の恋人少女の登場。
陰のカーテンをあけると少女が唄っている。と言う趣向です。
宝塚では「雨に唄えば」の場面はひつっこくなく、實際にどしゃ降りの雨の中さっと
踊って見せて印象深く、舞台装置にも感心させられました。
雨にはこう言う雨もあるんですね。
♪雨 アメ 降れ フレ 母ーさんが 蛇の目で お迎え嬉しいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪
(*)張君の書いてくれたMotionpicture Historyをご覧下さ い。
1927 First talkie
”The Jazz Singer”(AL Jolson)
(バス・シンガーのアルジョルスンは後に「ショウボート」で’All man r iver’を唄っていましたね。)
1929 Silent films disappear
”Love Pa rade”(Lubitsch)
(モーリス・シュバリエと美しいジャネットマクドナルドのミュージカル映画、曲が
流行った。)
Thu, 3 Jul 2003(Y4) 山崎 坦
鬱陶しい毎日ですが、お元気ですか。
インターネットで検索してみると 「雨あがる」「雨に唄えば」「シェルブールの雨傘」等が出てきますが、
サマセットモーム の「雨」はなかなか出てきません。古典なんです。
「パリの雨傘」 これはTBSテレビ(検索できます)日曜午後10時からの番組 「世界ウルルン滞在 記」のある日のタイトルです。
フランス人はアンティークを大切にして、精巧に作られた王朝時代のパラプリュイ
(雨傘)を丁寧に修理して使う。
その傘作りを日本の若手女優が住みこみで勉強に行く苦心談です。
私の亡母の80歳・傘壽祝に、母は日頃杖をつくのを嫌がっていたから、頑丈な雨傘を杖代わりにと思って、
英国製の軸がヒッコリーのものを贈った事を思い出します。 結局使ってもらえな
かったけれど。
家内にとってパリの傘は宝物で、しまってあって,使うものではない。娘は使った途端に,外出先で忽ち盗まれてしまった様です。
「雨ぞふる」(The Rains came)1939はインドのモンスーンの雨が凄
かった。 タイロンパワーとマーナロイです。 脱線が激しくて済みません。
サマセット・モームは在フランス英国大使館顧問弁護士の子としてパリーに生まれま
したが、
10歳で孤児となり、英国ケント州の牧師の叔父に引き取られた。
カンタベリー ・キングズ・スクールで病を得て、南仏にて療養、全快後独逸ハイデ ルベルグ大学。 作家志望となる。
しかし将来自活できる様にとロンドン聖トーマス病院付属医学校入学。 学位をとる。
この間産科助手として62人の子供を取り上げる。
医者の経験を基にした処女長篇小説「ランベスのイライザ」を出版。
やがて医者を辞めてしまって、主として戯作に打ちこむ。
1904年フランス生活が始まり、モンパルナスのフラットで自由な芸術家的生活を 始める。
ゴーギャン(1848〜1903)の知人から彼の事を聞き興味を持つ。 小説「月と六ペンス」の構想を練る。
1916年ゴーギャンの生活を知るためタヒチ島訪問。画期的な影響を受ける。
1919年「月と六ペンス」出版。
1928年、1932年、1953年 「雨」映画化される。(私共の取り上げているのは 1932年 のものです
良く大陸を旅行、殊にスペインを好んで旅行記をものした。 1965年12月16日91歳死去。
「雨」の舞台 サモア島は同じ南太平洋タヒチ島西北2000km辺りです。
検索「淀川長治」でようやく「雨」を見つけました。amazon.comに、なん
とDVD「雨」があるとのこと、 直ちにORDERしてみると、
翌日入手できました。まさにIT革命時代ですね。
ではまた。
Thu, 3 Jul 2003(T2)(張君より)
Dear Yamatan,
サマ−セット.モームの話し、興味ふかく読みました。
ウィンストン.チャーチルと、奇しくも生没の年を同じくしたモームは、 ともに大英帝国末期の傑出した人物と言えましょう。
同じような意味で同時代の有名な人物に、数学と哲学に秀でたバートランド.ラッセルが挙げられます。
普段あまり小説や戯曲を読まない私ですが、モームの作品だけは、イギ リス出版の単行本や選集で、大部分読みました。
爛熟しきったイギリス文明のもとで、小市民たちが送る日々の生活を、 甘さも苦さも噛み分けて、淡々と描いたモームの筆調にはモーパッサンを思わせる箇所が多々あります。
「雨」のストーリーで、堕落する女性を救つたと思った宣教師が、自ら 堕落してしまった、というのは今の時代でもよく見られる現象です。
クリントン大統領時代、国会の多数を掌握した共和党が、ニュート.ギ ングリッチ議長の所謂「ファミリー.ヴァリュー尊重」のスローガンをかざして騒い
だ。 ところがギングリッチ自身、国会の金を私用に廻したとか、オフィスのなかで逢い引きをし、二度目の妻が癌と宣告された途端、離婚の同意書にサインを強制したとかと、いろいろと醜聞が公開されて辞職しました。
サザン.バプチストを主流とする南部諸州の基本教義派は、いまや第二代ブッシュ大統領の提唱によって、アメリカ全体に圧倒的な影響を及ぼし、世界の世論に耳を貸さない唯我独尊の道を、歩かせるようになりました。
そばのカナダに住 んでいて、はらはらします。 ED
Sat, 12 Jul 2003
「雨」筋書き 松村次郎
原作者サマセット・モームが一作家としての取材旅行中遭遇した実話を題材にして書き下ろしたものだそうです
シドニーへ向かふ汽船が南海の孤島ツツイラ島のパゴパゴと呼ぶ淋しい港に寄港
と云うのは行き先地に伝染病が発生、之が治まる迄 此の港で 待機を余儀なくさされると云う処から話が始まります
此の島にはホテルが一軒しか無く其の名も 「レイン・メーカー・ホテル」
不思議な偶然とでも云うか、雨作りホテルと云う宿に泊まる事になる。
豪雨の中 降りて来たお客は 医師マクファイル夫妻、牧師デビッドソン、南へ南へと流れ行く 赤線の女サデイ・トンプソン等々
と云う顔触れ、
処が此の港には 軍隊が駐在しており オハラ軍曹と云う兵隊がサデイの秋波に早速物にされ 逆上せ上がって 上官から咎められ営倉に入れられる
此のふしだらな女を許せぬ牧師が狂信的な熱意を持って神の道を説く
始めの中は一向に効き目が無いが其のうち徐徐にサデイの荒んだ心も 立ち直りを見せてくる、
かかる状態の時オハラ軍曹が営倉から脱走
サデイに一諸に島から逃げ出してくれと頼みこむ、
処がサデイの方は これ以上オハラに罪を犯させたく無いと云う良心に目覚めた女に なっていた、
最後のどんでん返し、其の夜は土砂降りの雨牧師が獣と化しサデイを襲う
翌朝牧師の死体が海岸に打ちふしていたと言う結末。
若かりし青春時代強烈な印象を受けた映画の1つです、私は一年間 国立のY.M.C.A.寮に入った人間なので人一倍印象が深かった のかも知れません、
舞台は現在の南の楽園タヒチ島ではないかと思います 映画「雨」之にて終了。 松。