「舞踏會の手帖」 封切時代背景


  Sun, 20 Apr 2003
  みなさま                          
                               山崎 坦                    

昭和13年(1938年)は私ども予科3年19/20歳のころです。
年表を見ると、前年に反戦的筆禍事件で東大矢内原忠夫辞任。
日独伊防共協定。
’3 8年2月人民戦線第2次検挙(大内兵衛、有沢広巳、脇村義太郎)、
4月国家総動員 法公布とあります。

昭和13年「スター」誌12頁南部圭之助氏が執筆しているものを次ぎに引用して見 ます。

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春の映画---試写室便り---

舞踏会の手帖(カルネ・ドバル)
輸入不許可によって当分見られない筈だったデュヴィヴィエの名作「舞踏会の手帖」 は、
昨年対独協定から上映を禁止された「狙はれた男」及び上陸もせず送還された 「マルト・リシヤアル」(この二本のフランス映画はユニヴァーサルの「その後に来 るもの」と共に独乙では上映を禁止された)の代りとして、陸揚げを許可されたものである。
作品価値から言っても上映禁止を喰った前述二作品程度の作品が何本集まっても到底 この一本には及ばない。
まことに之は三映社のみならず、日本の映画フアンの思ひが けない喜びであった。
「舞踏会の手帖」全十二巻はジュリアン・デュヴィヴィエの昨年度の大作でヴェニス における國際映画コンクールに於いて最高のムッソリーニ賞を受けた作品である。

  -- (以下省略)--

以下は、私達の座談会で記したような話になるので省略するが、以上の話は現在では 全く想像もつかない話ではありませんか。 現在は結構な世の中になっていると思います。                         


   Sun, 20 Apr 2003
   山坦 さま 
                    今晩は     大野です。
封切時代環境に出た言葉にー国家総動員法ーがありました。
今は亡き3組の坂田君 と共に馬術部でしたが、4つ足ならぬ4つ車の免許をとて教習所に通い、免許をとつ て、当時の ダットサンを運転して武蔵野の野道を走り、細い道で肥桶を倒して大慌て逃げるな ど、ありました。
所が運転免許を持って居た為、総動員法により労働手帳が来て、軍務に引き出 されての、輸送義務が発生して吃驚した事を思いだしました。
映画の話は60年以上も前の、とんだ記憶を呼び出す効果もある事が解かりました。 有りがとうございました。