X X X G O L F 

手習いで読んだ数々のハードカバーの本が手許に残っています。
次のようなものです。
写真に撮って見ました。







真ん中のInvitationCardには次のように書いてあります。

The Canadian Ambassador,Commercial Counseller and
Commercial Secretary
request the pleasure of the company of

Mr.H.Yamazaki

at a Reception
inhonouroftheCanadianCupInternationalGolfers
attheCanadianEmbassy
on Wednesday,October23rd_6:30〜8:30 p.m.

CanadianEmbassy                            Akasaka,Tokyo
Please return enclosed reply card


昭和32年(1957年)10月23日(水)カナダカップ
前夜祭
のカナダ大使館からの Invitation Cardです。

前夜祭に出席してサム・スニード氏彼の著書にサインを貰ったわけです。
サムスニードは’ゴルフの神様’と言われた人です。
To Yamazaki with
Sincere good wishes
and better golf
Sam Snead

と書いてくれました。著書の見開き右側です。
左側に上の Invitation Card をはり、サインの右にはカナダカップ・霞ヶ関カンツリークラブ入場券リボン
をはって、宝物として保存しています。

サム・スニード「ナチュラルゴルフ」の訳者は大屋晋三氏です。
大屋氏は1918年・私の出生1年前・東京高商(東京商大・現一橋大の前身)卒の大先輩。
帝人社長で有名。当時国会議員、序文に、これから出発する欧米視察旅行の際、
スニードに、あなたとプレイしたいと申し入れてあると記されています。
「オトーチャン」で有名な大屋政子夫人(1920生)のご亭主です。

このときのカナダカップの成績
par72×4日=288

日本 中村寅吉 273 小野光一 283 557
USA サム・スニード 281 ジミー・デマレー 285 566
南ア ゲリー・プレイヤー 281 ハロルド・ヘニング 288 569
豪州 ピーター・トムソン 287 ブルース・クランプトン 285 572
ウェールズ ダイ・リース 292 デーヴ・トマス 281 573
カナダ スタン・レオナード 283 アル・ボールディング 293 576
イングランド ピーター・アーリス 288 ケン・ブースフィールド 291 579
以下 略

参加30ヶ国中、日本チーム並びに個人・中村寅吉が優勝し、日本におけるゴルフ熱が一気に燃え上がりました。

私の観戦記
ティーグラウンドわきで、次々スタートしてゆく選手達のティーショットを観察していました。
小柄な寅さんのフォームは特別で、実戦経験派フォームだと思いましたが、
外国人選手のフォームは皆同じではないかと思いました。
驚いたことに、彼等のウッドショットはフェアウェイで打ってもランがないことです。
ショートアイアンは雲雀の舞い揚がるように高く打ち上げて、狙った一点に落としていました。
10番ショートホールのアリソン・バンカーにダイ・リースがはまってしまって出せませんでした。
最初、砂だけが舞い上がりました。
名手でも、こんな目にあうこともあるのだと思いました。






昭和41年(1966年)のカナダカップは
東京読売カントリークラブで行われました。
par72×4日=288(個人)×2人=576

USA ジャック・二クラス 273 アーノルド・パーマー 275 548
南ア H.ヘニング 276 ゲーリー・プレーヤー 277 553
台湾 陳 清波 281 呂 良煥 273 554
豪州 B.デブリン 277 K.ネーグル 279 556
日本 河野 光隆 289 杉本 英世 272 561
カナダ G.ヌードソン 272 F.ホーラー 292 564
以下略

東京読売カントリークラブは雄大だからアメリカ選手には有利、日本選手には不利だったかもしれません。
前回の霞ヶ関カンツリークラブでは逆のことが言えたでしょう。

ジャック・二クラス、アーノルドパーマー、ゲーリー・プレイヤーと揃ったのですから壮観でした。
おのおのフォームやスウィングに個性、癖があったから、
彼等の物まねをしたものでした。





アメリカのスポーツ・イラストレーテッド誌に連載されたので原文で詳細に読みました。
やがて上右の訳本が出されたので、
バイブルのようになりました。

陳清波は久我山に道場を開いた。
エキジビションでボールを打って見せて、
まるで拳銃うちのように
的にしたものに当てていた。



宮本留吉プロ(明治35年1902〜昭和60年1985)
昭和7年(1932年)ノースカロライナ・パインハーストで同い年の
ボビー・ジョーンズに勝った。

(ボビージョーンズはオーガスタのマスターズ・ナショナル・ゴルフクラブをつくった球聖とよばれる生涯アマ)

留吉さんのショート・アイアンのレッスン
フェースを極端に伏せてインサイドアウトに打つ事を何度もやらされた。
普通に打ったら左の方えいってしまう。
クラブフェースと打球の関係をつかめと言うことだったのか。
実戦経験派のゴルフでした。