Date: Tue, 26 Aug 2003
山崎 兄       大野です。

(編者註:6組 大野晴里君のご子息はJALのキャプテンです、ご子息よりのメール)

Wed, 27 Aug 2003
息子がメールで指示してきた様にやってみましたが、つきました か?                              Subject: ローマ空影
今回のローマは珍しく北風で、街の真上を通ってから、 一度南へ出てからの着陸でした。
コロッセオや、バチカンが良くみえました。
僕は着陸の係りではなかったので、最高の展望席からの 撮影となりました。





続いて、貴兄の「夏休みの思い出」。
我々の送ることの出来た夏休みは動乱の間の晴れ間でしたね。小 中 大 と今年は 太陽もバカンスをとりました。何年か振りのことと許しましょう。 
私も-- 有難い 夏休みの思い出を-- 貴方のメールそのまま、に、---有難うございました。

秋元君(編者註:8月23日PCデヴュー)に私の手習いをメールして、返信あり、でした。ご報告まで。

Original Message ----- From: yamazaki hiroshi To:

十二月クラブ各位

Sent: Monday, August 25, 2003
Subject: 学生時代の夏休み               
                       5組  山崎 坦      
みなさま おさわりもございませんか。
先にNET座談会「学生時代の夏休み」はいかがでしょうか?と申し上げました。
今年の夏はひどいものでしたね。
梅雨が終わったのか解らぬ内に・・・冷夏で稲の作柄が心配だといわれましたね・ ・と言ううちに、もう、つくつく法師が鳴き始めたではありませんか。
学生時代の夏休みは誠に楽しいものでした。
今年の夏では、学生に、気の毒な気が します。

おーしんつくつく、が鳴きだすともう夏休みも終わり近く、宿題が気になりだしま したね。
二十日を過ぎると、もう避暑地から人はどんどん引き上げてゆき、残された私は、
なにか「歓楽尽きて哀愁新たなり」という感じ、かなかなと鳴く蜩の声にセンチメン タルになったものでした。
そこに嵐・台風がやってきて、さらに情けなくなりました ね。
山の林の中で、トルストイの長い小説「戦争と平和」を何日もかかって、読んだの も懐かしい。
けれども<エドモンダンテス>「モンテクリスト伯」のほうがもっと面 白くて徹夜で一日で読みました。

海は八月に入ると、もう、土用波が立って、くらげが沢山出てきて、刺された傷が ひりひりと痛かった。
浜名湖はおだやかで、浅瀬で潮干狩りをしたのはずっと幼児のころだったろう。
中学生のころは毎日、朝から、和船を漕ぎ出して、潮時に釣りをし、帰りには船に 帆をかけました。
漁師の子のように真っ黒になり、急に背丈が伸びました。

大物が釣れたときは大変でした。
釣果の黒鯛を、おばさんがさばいて、掘り抜きの湧き清水であらいにつくってくれました。あの味は忘れられない。 遠州灘は太平洋に面した外海で波も荒く、急深のところがあり、沖に吸い込まれてゆくので危険でした。
広い砂浜は裸足では熱くて歩けない。 地引網の手伝いをしました。えんやえんやというリズミカルな掛け声。

浜から家まで砂山(防波堤?防風林)を三つ越えて家え帰ります。途中におしろいばなや、月見草、薊や夕顔の花、女郎花や撫子の花などが咲いていました。畑には、 西瓜があり、休耕のところには蓮華草の花が敷き詰められていた。バッタやキリギリ スが鳴いていました。ススキは鋭利で、指を切ると痛かった。 人力車夫のショウサ(ショウさんという名前)が天秤棒の前後の笊に従兄弟と私を振り分けに乗せて運んでくれたのは余程幼いころのことでしょう。

昭和40年代にワイルドワンズというグループサウンズが♪思い出の渚♪という歌 を歌っていましたが、あの歌詞の心は、学生時代の私どもの気持ちを歌っているように思いました。♪それはバリバリ・ビーチで起きた。♪ とか♪私が彼女を見出したのはカプリ島♪など、同じような歌が沢山ありました。「思い出の渚」は、人それぞれ に、湘南大磯であったり、鎌倉由比ガ浜、材木座、逗子だったりでした。そうでしょ う?
そして ♪もう帰らない あの夏の日♪ と歌い納めます。