家康と論語
5組 張 漢卿
1 家康の優れたところ
イギリスの航海士、ウイリアム=アダムズが、家康から知行地を与えられ、三
浦接針と改名して帰化した話しは、嘗てアメリカで「将軍」という歴史小説に
なり、そのテレビ劇で、三船敏郎が頗る威厳のある将軍家康を演じて、大好評
を受けた。 それ以来、「将軍」と「侍」は、「富士山」と「桜」に替わって
、日本の象徴として西洋人の心に定着した感がある。
もし関ヶ原の大合戦の結果、文吏で人望も薄かった石田三成が、五大老の筆頭
たる家康を倒したと仮定したら、天下はどうなった事であろうか。 必ずや武
将間の軋轢を激化し、天下は統一どころか、寧ろ信長以前の戦国時代に逆戻り
し、弱肉強食、下克上などの乱世を再現したことであろう。
また小西行長などキリシタン大名の圧力を受けて、秀吉以来の禁教令は緩和、
または廃止されたことであろうし、外国人による宣教活動の自由に伴って、ロ
ーマ教皇の権成は諸国の王権に優位するという教義が全国こ広まったことであ
ろう。
そしてフイリッピン群島で、スペイン宣教師の成功が、スペイン軍の占領に繋
がった事から見て、日本が、果たして同様の運命から逃れ得たか、
大きな疑問が残る。
江戸時代と同時期にあたる清朝時代の中国では、『反清復明』、『太平天国』
などの名を借りて、無数の内乱が起こり、数千万の人命が失われていた。 ア
メリカでも、建国僅か85年にして、南北に別れて内戦が起り、5年に亘る戦
いで、60萬に上る死傷者が出たと言われている。 ヨーロッパに至っては、
数々の革命で、英国の国王チヤールスー世が処刑され、フランスでは国王ルイ
16世が、王后マリー=アントアネットと共々、犠牲になっている。
か<のごと<動乱の絶えない世界から日本を守って、265年も国内の安定を
維持したのみならず、最後には大政奉還という名義で政権を移譲して、流血の
争いを避けた江戸幕府は、史上に稀な政権であり、その礎を作った家康は、比
類のない大政治家であったと言っても、過言では無かろう。
2 儒教が果たした役割
遠謀深慮で有名な家康が、腹心の部下や、大儒、高僧の意見を聴きながら、練
リ上げた江戸幕府の構想は、将軍による統治権強化の必要と、藩制の創設とい
う地方分権の必要とを、如何にして平衡させるかという工夫に有ったと思われ
る。
歴史学者に言わせれば、行政機構の整備、武家諸法度の発令、親藩外様の配置
、参勤交代の制定など、幾多の創意が挙げられる。 しかし、それらの措置と
並んで特筆に値いするのは、家康が林羅山を国師として招き、朱子学に官学の
地位を与えたという点である。
神仏の力に頼らず、「個人が身を修め、家を整えれば、国は治まり、天下は太
平になる」という儒教の自律的な道徳論に、家康は治国の基本精神を見つけた
のであろう. 孔子の教えが、藩校や寺子屋を通じて、親藩と外様を分けず、
身分の上下を問わず、全国に遵奉されたのは、家康の優れた選択に負う処が大
きい。
関ヶ原の戦いでは、敵軍だった毛利氏、島津氏に対してさえ、それぞれ長州や
薩摩の藩主として尊厳を保たせたのは、儒教的な考え方に基ず<。 その精神
が受継がれた為であろうか、後日幕府と雄藩が王政復古を廻って対立した時、
「大義名分」の名に於いて、無血で江戸城開城の道が開かれたのであろう。
3 道徳の成り立ちと行方
漢字で「道徳」や「倫理」と書き、英語で”Morals”や”Ethics”と書いても、
帰する処は、それが「社会の秩序と進歩に役立つ不文律」
として解釈できる点にある. 法律としての明文が無<とも、宗教としての戒
律が無<とも、人と人が共同生活を営むところでは、かならず必要とされる規
範である. ただ異なる時代の異なる必要に応じて、規範こ変化が生ずる。
変化の必要性は、二次大戦後の半世紀に、最も強<感じられた。 その原因の
中で特に目立つのは、昔なら百年、ニ百年かけても発生しないような大事件が
、戦争と反乱、天災地変、政治の腐敗、神職者の乱行、などの惨事として矢継ぎ
早に起り、しかもそれが、ニュースの実況放送を通じて、地球の隅々まで報
道された衝撃である.
昔の道徳は、外界と接触の少なかった農村社会で発生し、家族、親類、朋友な
ど、小さいサークル内の関係を調和するのが、主な目的であった。 それが、
現在の複雑な社会構造に適用しにくくなったのは、当然の事である。
真夏の日照りで田畑の水が、どんどん蒸発してい<様に、社会構造の急激な変
化は、旧来の道徳を容赦な<枯れさせる。 その旱魃の跡地に新しい品種を植
えて、水を施す必要が有る様に、新しい道徳の成立は、次世代に精神の拠り所
を与えるという重要性を持つ。
4 新しい道徳は有るのか
社会が情報化した為に、世界は所謂「地球村」に成った。 その結果、人類が過去
数十世紀かけて、人種や国柄の相違、正統異端の争い、階級の上下、など多数の
矛盾に
基づいて築き上げた「彼我の差別」は、広く再検討を受ける状態にある。
「彼我の差別」は嘗て米ソ両陣営の対立の形を取って、世界を二分、三分したものであった。
それが21世紀の今では、同じくアブラハムを先祖と仰ぐ三大宗教
(ユダヤ教、
キリスト教、イスラム教)間に於ける対立の姿を取って、再び世界を、
二分、三分しつつある。
「我に与せざるは敵」と当事者達は、世界を二色にしか見ないが、何れの時代にも、
中間色に属する国家や民族は有り得る。 昔アメリカ、ソ連双方から圧力を掛けられ
ながらも、どちらの体制にも参加しなかった国々が有った。
今アメリカは、イラク
進撃計画に対する支持を各国に打診しているが、イギリス以外の
友好国家からの反応
は、極めて消極的だと、報じられている。
事実上、ソ連の崩壊は、共産主義体制内の自己矛盾に起因したもので有って、
アメリ
カの武力に屈服したのではなかった。
現在10億のイスラム教徒は、異なる国家、
異なる教派に分かれ、お互いに幾多の
矛盾を抱えながら、世界各地に分れて住んで居
る。
嘗ての朝鮮戦争やベトナム戦争が、未だに何で戦ったのか不明なる儘、
またも
やイスラム圏と言う蜂の巣を態々棒で、つっ突きに行く必要が有るのであろうか。
イラクやイランなどのイスラム国家を目の敵にして、武力干渉と政権顛覆
を企てたと
したら、徒にイスラム教圏の団結を齎し、敵対勢力の増大に
終わらないであろうか。
少なくとも、欧州連合の国々は、そう見ている。
アメリカやカナダに比べて、
3倍から5倍も高いガソリン代を払っている欧州諸国は、
世界人口の僅か20分の1
でしか無い両国が、エネルギー総消費量の4分の1を消費
して居る贅沢振りに、
予々から批評的である。
その為、既得権利の擁護を主とした
アメリカの中近東政策や戦略に対して、
歴史上、別々の途を辿って来たヨ−ロッパと
して、同調できない点が多いのは
無理もない。
アメリカ側にしても、イスラム圏側にしても、近代兵器が容易く入手出来る今日、
一旦戦争とも成れば、正攻法、遊撃戦の如何を問わず、自国内に予想以上の大損害
が起
きることを覚悟しなくては成らない。
双方とも、威きり立ち睨み合った姿勢から、
一歩退いて、相手の立場を理解し、
今迄考慮もしなかった妥協の途を探究するのは、
言い易くして行い難い処であるが、
他の解決法が有るのであろうか。
人類の生存が
脅かされる時には、皆が心服出来る道徳律を掲げて、
平和を齎し得る 指導者の出現
が切実に期待されるものである。