1組 新井 隆 |
私の第二の人生は昭和56年の夏から始まった。この年の6月、定年後の勤務も終わって、始めて仕事に縛られない人生が始まった。 56年8月、田中仁栄君に誘われて、同好会の旅行に参加。ドイツ・ロマンス街道−スイス−パリ−の旅をする。今では定着したこの旅行ルートも、当時は未だ開拓時代で、ガイドも無く、JTB の大東君(一橋の後輩・現在 JTB の役員)が添乗員として案内の労をとってくれたが、ドイツ・ロマンス街道−スイス(ユングフラウに登ったがこの日終日快晴)−パリの旅は、私を海外旅行に引きつけるのに充分であった。 そして私の生きがいの一つが、十二月クラブの毎年の海外旅行となった。 昭和58年の台湾旅行には家内も参加したが大変同好会の旅行が気に入って、平成4年4月の亡くなる前年までに6回参加した。 殊に最後の旅行となった平成3年の第12回の旅は今にして思うと、家内を送る最大のイベントとなった。 この年の旅行は先ず解放間もないベルリンを見てミュンヘンに入る。ミュンヘンでは、ビヤホールでビールの大ジョッキーを抱えての夕食も良い思い出となった。次いでオーストリヤに入り、チロル地方のスキー場に取り囲まれた山の峠の大きな超一流リゾートホテルに2泊。天気にも恵まれ、広いリゾートホテルの気分は最高。スキーのリフトを使っての山の散策は、足弱の女性連中にも最高の散策であった。 次ぎに解放間もないブタペストに入りドナウ河沿いのホテルに泊まる。夜に入り、河ぞいに立てられた宮殿と橋がライトアップされ、なんとも言えず美しい。家内は大変満足で、「今夜は寝ないでもこの景色を眺めていたい」と言ったが、残念ながら夜の12時で消灯となった。 この旅行の最後の圧巻はウイーンの国立オペラ座で観たオペラの「魔笛」であった。この年はモーツアルトの200年祭に当たり、盛大な行事が行われた後であったが、その恩恵で、丁度よい俳優が出演しており、大変良い舞台で感激した。この年の旅行は、十二月クラブ同好会の旅行としても屈指の良い旅行であったと思っている。この翌年4月、家内は亡くなった。 家内の最後の旅行ともなったこの旅は、未だに折りに触れて思い出す。 同好会を作り、育ててくれた田中仁栄君は第15回のカナダ行きまでは元気で団長として旅行に参加。リードしてくれていたが、平成7年の南フランス/スイスの旅行は奥様が病に倒れ欠席。その翌年のゲーテ街道・プラハ行きは体調悪く欠席。旅行の直前まで行く準備をしていたが諦めた。出発当日成田まで見送りにきてくれ、旅行の為にと買い整えたフイルムを残念そうに皆で使ってくれ、といって私に渡された姿が忘れられない。この年の旅行は6月であったが、彼は10月に亡くなった。入院中は同好会の奥様連中の心の籠ったお見舞いを度々受け、感謝して亡くなられたと思う。 田中君亡き後の同好会がどうなるのか心配したが、幸、第1回以来皆勤の金原君が田中君の後を継いで幹事を引き受けリードしてくれた。 又、第14回(平成5年7月)のスコットランド旅行以来、水田洋君が毎回積極的に企画に参画してくれた。このお陰で旅行社の企画出来ないような面白い企画で平成11年のアイルランド行きまでで第20回となった。 田中君健在当時から20回で終りにしようとの話があったので、一応これでお終いにする予定であったが、鈴木貞夫・水田洋両君の発案で番外編をしようと言うことになり、昨平成12年は南アフリカへ、今年はウクライナ・ブルガリヤへ旅行した。 水田洋君は第14回(平成5年7月)のスコットランド旅行がきっかけで同好会と関係が深くなった。この旅行で現地に詳しい水田君が参加してくれ、大変親切に案内してもらった。現地ガイドは歯が立たなかった。我々は尊敬の意をこめて水田先生と言っている。 先生はこの旅行ですっかり十二月クラブの旅行同好会が好きになり、以後毎年ご厄介になることとなった。 水田先生は学会への出席や勉強で年間数か月はヨーロッパ等の外国に滞在して活躍している。日本だけの小さな世界に閉じ籠らず、世界を相手に仕事をしている。収入は殆ど本の購入で費やされるとのこと。 そしてその成果が実って先年、学士院会員に推挙された。大変良かったと思っている。 先生はその忙しい中を我々同好会の為にプランを練り、又同行して案内をしてくれた。厚く御礼を申し上げたい。 本年(平成13年)のウクライナ−ブルガリヤの旅も、全く JTB の意表を突くような旅で、それでも JTB は良くプランを纏めてくれた。添乗員には平成9年以来顔馴染みの鈴木由利花さんが添乗してくれた。 水田先生は現地の状況を見て、突然その日のスケジュールを変更する。こう言った事に即座に対応出来るのは、この由利花さんしかいない。 今年の旅行は余裕を持ってスケジュールを組んだ筈だったが、情報不十分で、特に航空機の便が悪く、目的地に着くのが遅くなり、夕食が夜10:00からと言う日が数回あった。老齢の我々にはいささか応えた。 しかし思いも掛けない地方を観て又新しい視野が開けた様な気がする。 日本に帰った翌日夜、米国の同時多発テロが起こった。丁度よい時に帰ってきた。 我々も、もう80才を過ぎて、体力的にも無理が効かなくなった。今年の旅行参加者中十二月クラブの正会員はわずか4名。世界の情勢も厳しくなった。この辺が同好会締め括りの良い時期かもしれないと思っている。 |