“無常迅速 生死事大” 1組 鈴木貞夫

 

 もうかれこれ二十年近く前になって了ったが、私の前の会社(東芝機械KK.)の OB の会があった折だった。入社した時の課長小平さんが(その後常務となられ、大動脈瘤が見つかり、退職された)私のすぐ近くに坐っておられたが、間にいた連中が席をはづし、他の席の人々の処へ廻っていて、直接小平さんと私とは隣り合せとなり、あちらから声をかけてこられた。

「なあ鈴木君、以前は死ぬのがこわかったが、80才をすぎたら、こわくなくなったよ」とのことに、こちらは「こわくなくなったなんて、凄いですね。私など『死ぬまでは生きるんだ』と開き直ったような気持で、頑張っています」と話して、2人で笑い合って了ったが、今自分が83才になって見て「こわくない」と言い切れるかどうか、「その時はその時のことさ」と割り切っているのだが。

 ところで、わが家の宗派は浄土真宗である。従って“歎異抄”については、早くから知っていたし、三木 清の枕頭の書と云うことで、学生時代から読んでいた。この春、改めて読み直して見た。“歎異抄”の筆者と言われる弟子の唯円が、ある時、師匠に向って「このように毎日有難いお経を読み、毎日有難いお話を伺っているのに、自分からすすんで、あの世とやらに行く気にならないのは、何故でしょうか」と問うたところ、親鸞の答えるのに、「唯円お前もか。実は私もそうなんだよ」と言って師弟、苦笑いをかわしたという。

 なにか読んでいて、胸奥にジーンと来る思いがした。

 近年、駒沢大学の聴講生として、道元禅師とその主著「正法眼蔵」を聴いたのだが、憧れの道元さんはなんと言っているだろうか。

 この小論の題名とした言葉は、主著「正法眼蔵」や、弟子の懐奘が書き残した「正法眼蔵隨聞記」の中で、道元が口癖のように言っている言葉で、名言として記憶に残っていたものだ。

 併し、ほぼ百巻になんなんとする「正法眼蔵」の中で、真っ向から「生死」の問題を取上げているのは、小生の管見によれば、現成公案の巻、身心学道の巻、全機の巻、生死の巻、道心の巻、の五巻くらいしか無いように思う。

 考えて見るに、自力、他力と言っても、所詮人間は、この世界、尽十方界を超えたあるものを、想定せざるを得ないのではないか。道元も晩年に説いたと思われる章の中で、他力本願的なことを言っている。

 まづ道元の言葉を聞こう(現成公案の巻)。「たき木は、はひとなる。さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」

 面白い表現だと思ふ。生と死とは全然別個のものだと言っている。次の「生死の巻」の一節も仲々に面白い。

「生より死にうつるとこころうるは、これあやまりなり。生はひとときのくらゐにて、すでにさきありのちあり。かるがゆゑに仏法のなかには、生すなはち不生といふ。滅もひとときのくらゐにて、またさきありのちあり。これによりて、滅すなはち不滅といふ。生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふときには、滅のほかにものなし。かるがゆゑに、生きたらばただこれ生。滅きたらばこれ滅にむかひて、つかふべし。いとふことなかれ。ねがふことなかれ。」

 続いて同じ「生死の巻」にまるで他力本願的な表現が見られるのも、興味深い。

「この生死は、すなはち仏の御いのちなり。これをいとひすてんとすれば、すなはち仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏の御いのちをうしなふなり。仏のありさまをとどむるなり。いとふことなく、したふことなき、このときはじめて仏のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ。ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。たれの人かこころにとどこほるべき。」

 併し乍ら同じ「生死の巻」に、禅的、自力的な表現が出て来るので、道元さんが判らなくなるのだ。即ち

「ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このときはじめて生死をはなるる分あり。」

 そしてまた晩年の「道心の巻」では他力的な主調になっているので余計判らなくなって了う。

「またこの生のをはるときは ふたつのまなこたちまちにくらくなるべし。そのときをすでに生のをはりとしりて はげみて『南無帰依仏』ととなへたてまつるべし。このとき十方の諸仏あはれみをたれさせたまふ縁ありて、悪趣におもむくべきつみを転じて、天上にうまれ、仏前にうまれて、仏をおがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。」

 どんなものだろう。あれだけ厳しい修行説法等の行持について、いろいろなエピソードを残している道元も「生死」の問題については、かなり他力本願的な言動を残している。これは「死」と云うテーマであるだけに、そうならざるを得なかったのであろうか。なにぶん死んでからまた生き還って来た人間はいないのだから。それとも根本に返って「只管打坐」から始めなければ、道元の言葉も判らないのだろうか。所詮書物から入り、書物から判ろうとする自分が誤っているのだろうか。