2組 川崎文治 |
人生はエレジーの一生である。だからそれを讃えたい。ゲーテの「ローマ悲歌」(岩波文庫『ドイツ名詩選』1993)は周知のとおり実は愛の讃歌といっていい。彼のいう“Amor”(逆にいえば“ROMA”)はしかし愛だけではない。次に一節を引いてみよう。 “生も死もすべてささげてくれるので、ありがたく思っている。このとおり、おまえに蹤いてローマまでやって来たではないか。(以下略、P.39)。ゲーテも本質的にはエレジーともいえるが、別の表現でアモール(愛)を唱ったのであろう。” それにしても旧ソ連時代のノーベル賞詩人シフ・グロッキー(1940年生れ。その後逮捕『徒食者』として追放され、アメリカに渡る)。彼のノーベル賞受賞の挨拶の中で、「詩人が言葉をあやつるのでなくて、言葉が詩人を動かすのだ」(大意・『私人−ノーベル賞受賞講演』(群像社)と云っているが確かな引用ではない。ところで彼の『ローマ悲歌』(РИМСКИЕ)『ЭПЕГИИ』ヨシフブロッキー・たなかあきみつ訳(群像社、1999)はまさにエレジーそのものだ。全部を紹介できないが、途切れとぎれの紹介でもしておこう。 “蜜だらけのまま海辺へ飛び去っていた蜜蜂たちの月 大気の流れよ じんじんかき鳴らせ 雪のように白い 弛緩した筋肉の上空で…………残されてある生涯の 不格好な分数を 過去の生活を完了態へ 整数もどきへ と 収斂させる欲求を。” さてひるがえって母校のエレジーをみてみよう。「離別の悲歌」の(昭15年、依光良馨作詩、は後述する)依光のうたは本質的にエレジーと思う。彼の代表作「紫紺の闇」(山岡博次作曲)も見事なハーモニーを感ずる。次に一節だけ“思想の空の乱れては、行く術知らぬ仇し世に濁流ルビコン渡らんと 纜解きし三寮よ 自由は死もて守るべし”(これらは戦前逮捕された裏返しの強烈なエレジーというべきか。)最後になったが先述の「離別の悲歌」に至ってはまさにエレジーの権化というべきか。全節を掲げたいが、加藤登紀子が、これが一番好きとテープに吹きこんでくれたのもよくわかる。(依光良馨作詩、青木利夫<昭16>作曲)人生はエレジーである。それが詩にもなりうたにもなる。晩年の子守歌になるであろうか。 離別の悲歌 (昭和12年 依光良馨作詩) 一 人の命の旅の空 憧憬遠く集ひより 燃ゆる緑に駒とめて 傳統の小琴まさぐりし 三年の浪よ幻の 光茫今しうすれては おだまきかへす術もなく 春永遠に恨あり 二 隅田の譽多摩の榮 さては暗きに泣きし戀 今小川邊に佇みて 回顧の夢に耽る時 ほぐれて高き土の香や 白光あわく東風の吹け 三年を偲ぶ草々に あゝ断腸の想する 三 明日は別れて西東 乾坤いかに荒ぶとも 廻る潮の末かけて 正しく強く幸あれと かたみに契る胸と胸 甘美き情の餞に 求道の友と汲み交わし 涙に白む今宵かな 四 あはれ果敢なき人の子よ まどかに眠る揺籠の 塒の森は朝焼けて 亦旅鳥逝く雲に 嘆きの色の深くとも 若きに滾る血のあらば いざ聲そろへ歌はずやへ 名残り盡きせぬ此の庭に |