運と云うこと 3組 関 大一郎

 

 サイゴンの監獄に入ったことがある。三畳程の独房は本当に怕しかった。何故4日で出されたか。一寸変な出来事があった。

 部隊長が「関中尉」と叫んで、上の房を走り廻っている。関は此処に居ますよと伝える為に、彼の好きだった軍歌を歌った。知る限りの軍歌を歌い終る頃、益々もり上って、イギリス国家をキングとクイーンに分けてどなり、中学2年の時に聞いたフランス国歌の長いのを2回、ほれぼれする声を張上げた。背の低いフランス兵が扉を開けて「出ろ」と云い、私の肩を叩いて行って了った。次の朝、日本軍を監理するフランスの大佐の前に呼出され、「アーメン」と云った後部隊長の待つキャンプに帰された。

 私は運が良かったのか。幻聴を何故聴いたのだろう。運が良いから幻聴を聴いたとは変だ。人間様よりも大いなるものが、私を助けて呉れたのに違いない。

 予科二年の夏、朝鮮を旅行し、京城近く竜山の駅で、日支事変に出征してゆく兵士を送った。「お元気で征って下さい。後は引受けました。」するとその下士官は私に、挙手の礼をしたのだ。それから60数年、その挙手に追われる身となった。

 後をどう引受けると云うのだ。310万が死んだのだ。64年考えた結論は、人類は運良く21世紀を生き延びるのではないか。ユダヤ人が苦しんだのも、革命でロシヤ人が死んだのも、神が人間を救う為の営為ではなかったか。

 神はあまり悪いことはなさらないさ、と牢獄から出された私は思う。