笛のペンダント 4組 中西光枝

 

 いつもの私でしたら花を書くのですが、今日は変ったものにします。

 私の胸に輝いているのは、ペンダントではなくピッカピッカの笛。真新しいしっかりとした白の紐の先に光っている。

 孫と電車ゴッコでもあるまいしと、人様は不思議に思われることだろう。今更交通整理はお手伝い出来るわけでもあるまいと。

 赤いセーターの胸にかがやく真新しい笛、実はこの笛が胸にある由来を聞いて下さい。話せば何だ、そんな事かと人は笑うかも知れないが、私にとっては此の世に生まれて有余年。はじめての体験をしたためのものである。

 話は去る日、現俳本部へ用事の為、秋葉原の駅に下車。と後より靴のかかとを若い男の力で踏まれた。「痛い」と思わず地声の大きな声を出す。転ばないのが幸。とあとで思ったが踏んだ男は謝りもしない。23〜4才の男である。「ボヤボヤしてるから踏まれるんだ」とは……

 人の足を踏んだ揚句にそりゃないよ、足が痛いからゆっくり歩いているのに、前をよく見なさいと言いたいが言葉すら出て来ない。とこの時彼の男、私のもう一方の痛くない方の足を又、いやと言う程踏んで立ち去る。一言も言わず立ち去る男を見ていたが、この野郎、と思っても勝目はなし。何か一と言ぶっつけてやらねば腹の虫がおさまらない。

 あたりの人の中には駅員さんは勿論のこと、警備の人すらいないホーム。かの男と10米程離れたので、思いっきり大きな声で「アホー」と言ってやる。件の男こちらを振り返って、ポカンとしている。ああいい気持!

 来るなら来てみろと足の痛いのも忘れ、降りる駅の階段も苦にならず、胸のつかえも一っぺんにとんでしまった。

 あの男、アホーとどなられるとは思いも及ばなかったのか、それともこちらの勢いにびっくりしたのか。どっちでもいい事ながらキョトンとした顔が今も目にやきついている。

 あの咄嗟の時に私が転んでいたらと思うと急にさみしくなる。人は沢山ホームに居ても手を貸してくださる人は誰も居ない。こんな場合、笛でもあったらと思いつき、友人にこの日の出来ごとを話す。と早速のプレゼント。

 遂にペンダントに変った笛である。思いっきり鳴らすと、人混みの中でも交通整理が出来そうである。

 この世の中何かが変ってしまった。何かが狂ったと言う方が正しいのかしら。人の足を踏んでゴメンナサイも言えず、去り際にもう一方の足をわざわざ踏んで行くとは。

 この子の親の顔が見たい気がする。でも刻がたつにつれ、希わくばこの笛、一度も吹きたくないと思う此の頃である。ペンダントに変った笛を手にしながら、昨日の夢の様なあの日を思い出す。思い出したくない思い出ばかり胸に残って、本当に此の頃おかしな気分である。

 花の下にて吾れ死なん と言われた西行法師の様なわけにはいかないが、三日見ぬ間の桜もすっかり散り了え、心地良き葉ざくらにあふられて今日も一日がはじまる。元気を出そう!!

 山桜だんだんうすくなる歴史  みつえ