ニューギニアで戦死した兄の憶い出 4組 大石貴美枝

 

 戦争、そして戦死、思い出すことは余りにも悲しいことです。きびしかったらしい軍隊生活、そして戦場、さぞつらいことばかりであったと思いますが、無言の帰宅では、何も伝えてはくれません。戦死を告げる一枚の文書、そして遺骨の引渡し、それはそれは粗末なものでした。引揚げ事務所の一室で、一職員から手渡されたのは15cm四方ぐらいの白い箱でした。言葉も出ませんでした。中には粗削りの位牌が納められていました。

 戦死の模様など誰一人知らせてくれる人はおりませんでした。

 両親は真相を少しでも知りたく、八方手をつくし、ある時は茨城までも足を運びましたが、空爆で飛ばされてしまったらしいとのこと、それ以上知ることは出来ませんでした。あきらめきれない毎日、ほがらかだった母から笑顔を見ることは以後ありませんでした。

 悲しみから立ち直ることが出来ないまま、母は旅立ってしまいました。7年後には父も頑張り切れず母と兄の後を追ってしまいました。

 「やりたいことが沢山あっただろうに、本当にかわいそうなことをしました」と忘れられない亡母の言葉です。

 すべて運命、寿命、それで終らせなければ、ならないのでしょうか。それしか諦めはないのかも知れません。

 55年余りを過ぎておりますのに、思い出すほどに知らず知らずに涙が湧いてしまいます。

 過日お招き戴いた慰霊祭で同じ4組の方(お名前がわかりません)から、戦場へ向う際、ベッドが上と下で兄に遭遇、言葉を交はしたというお話を伺いました。不思議なご縁に驚かされました。