アメリカのテロ事件に思う 4組 樽 央也

 

 2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センタービル、並びにワシントン国防総省ペンタゴンに対する同時多発テロ勃発のテレビーニュースを見て、60年前の真珠湾攻撃を思出し、背筋の寒くなる思いを感じたが、考えて見ると共に身を捨てて目標に突っ込み自爆したとは言え、真珠湾の場合は相手は軍の艦船であるが、今回のニューヨークの場合は一般市民の殺戮を目的としたものであり、しかも何の関係もない乗客を道連れにした極めて悪質なテロであって、むしろ広島・長崎の原爆に近い事件であると考えられる。

 時間が経つにつれ真相が明らかになっては来たが犯人は過激なイスラム教徒であるとのことでアメリカは首謀者とみられるウサマ・ビンラディンを匿うタリバンが支配するアフガニスタンへの軍事行動を起こす模様が濃厚であるが(10月8日空爆開始)、それに就けても56年前を思い出す。昭和19年初頭より敵軍の侵攻に備え、北スマトラ・アチェ地区防備の為、海岸陣地構築並に上陸部隊迎撃の演習に明け暮れて居るさなか、スマトラ縦断幹線道路に架かる北部サマランガの橋梁確保の任務を帯び、分駐していた第7中隊の1個分隊が夜間、住民に襲われて小銃を奪取されると言う事件が起こった。小銃には菊の紋章が入っており、天皇陛下から下賜されたものであるので、取返えさねばならぬと言う強固な観念があり、夜明けと共に第7中隊の1個小隊を奪還の為、急遽派遣したが、住民はカンポン(部落)の寺院にて祈祷中にて話に応ずる気配なく、何人かがパラン(なた)を振り振り突進して来たので、止むなく小銃を発射したが、弾が当りその場に倒れても、その都度立上がり立向かって来た結果、小隊を指揮して居た我々と同期の山内大助少尉始め6名が敢えなく戦死を遂げた。

 パンデラ事件と言うが、敵と戦かったのとは異なり、さぞや残念なことであったろう。この住民は今回のテロを敢行したのと同様、イスラム教徒で、イスラムに刃向かう敵との聖戦にて命を落とした者は天国へ行けるのだと言うコーランの教えを堅く信じ、喜んで死んで行ったのである。この点60年前の日本と変わらないかも知れぬが、関係のない人々を道連れにする心情は何としても許されるべきではない。