5組 和田 篤 |
私は学生時代も、戦後も麻雀は知らなかった。家には養父が上海で買って来た小型で象牙作りのすばらしい牌があったが麻雀をすることはなかった。昭和23年春宇部興産東京支社勤務になったが、石炭部の先輩が夕方になると机をはずして麻雀をジャラジャラやるのでうるさいと思った。 昭和27年頃一ツ橋の先輩が総務部長となって東京支社に来られ、私は総務部経理課資金係長だったので直属上司となった。着任早々私に「君は麻雀は出来るか」と聞かれ、「出来ません」と答えたところ、今晩農中の人を麻雀に招んでいるので、見に来るように云われた。総務部長は昭十会の俵田昌三氏である。場所は大森にある会社の寮で、大森在住の私は断わることは出来なかった。背後から見ているとうまいこと牌を3枚ずつ揃えたりするので不思議に思った。 翌日会社に行くと経理の若い者達も麻雀の覚え立てだったので、早速仲間に入れて貰いその夕方から麻雀を始めた。当時はゴルフもなく、銀行や官庁を招待するのは麻雀が一番流行していた。会社のある虎ノ門辺も麻雀屋が沢山あった。それ以来病みつきとなり一日も牌をさわらないと淋しく思った。 当時取引先の日本興業銀行の外交係の人が我々を麻雀に招んで呉れた。銀座八丁目近くの料亭で部長外我々経理課員3名興 銀の外交の人と5人で交替で遊んだ。夜10時頃になると総務部長は帰るから君達は続けてやりたまえと云うことになり徹マンとなった。勝負に舞中になり何時になったか分らなかったが、多分朝4時頃だったと思う。2階の窓をコツコツと叩く音がした。ヒョイと見るとどうも警官らしいので窓を開けた。同時に廊下側からも5〜6人の警官が入って来て、すぐ皆に立つ様に云われ1人づつ別れて呼ばれた。まず座布団をめくった。現金が出て来ないかと思ったらしい。一人づつ別に尋問が始まった。「いくら賭けたか」私は「お金は賭けていない。床の間に置いてある賞品目当てだった」と云った。警官は他の人は1000点5円と云っている。君だけ賭けてないと不利になる。5円位なら警視庁でも賭博とは見ず大目に見るので本当のことを云った方がよいと誘導尋問をした。1000点5円は正に我々のレートだったので誰か認めたのかとも思ったが、私は断乎として賭けてないと頑張った。あとで皆に聞いたところ誰も云っていなかったので、完全に誘導尋問であった。警官は金は賭けなくても洋モクを吸っているので「専売法違反」夜中ジャラジャラやって数百米先まで音がしたので「軽犯罪法違反」又「我々は数十分前から張り込みを続けていたのだから手ブラでは帰れない。是非本署まで来るよう」と云う。 興銀の係員が銀行の大事なお客様だから大目に見て下さいと懇願、料亭の女将も出て来てあやまって呉れたので、すぐ止めて寝る様にと諭され、助かった。女将の話では数週間前に新聞記者が麻雀で踏み込まれたが記者達は「勝負が終るまで待て」と平然と云い警官も相手が悪いと帰って行ったとのことであった。同期の中にも麻雀の経験者が多いが警官に踏み込まれた経験は仲々ないのではないかと思い敢えて記した次第です。 今でも如水会館で月3〜4回12月クラブのメンバーと準会員と2組で勝ち負けはどうでも、手作りの楽しさを楽しんでいる次第です。 麻雀訓 1 相手を選ぶ事 2 徹夜をせぬ事 3 敗けて泣き事を云わぬ事 4 敗けたら必ず御礼をする事 5 偶についても高言せぬ事 |