馬に乗って感じたこと 6組 熊倉 實

 

 国立時代馬術部に入った。当時の馬術部は、専ら軍隊の馬を利用した。習志野の騎兵聨隊、世田ケ谷の野戦重砲、中野の憲兵学校、白河牧場の合宿等が主で、今と違って馬に不自由しなかった。馬術というと一見派手に見えるが、馬術は『廏七分に乗り三分』といはれ、乗っている時は、カッコいいが7割がたは、馬の手入れ、馬房の掃除などに大変な労力が必要。

 又馬にも色々なやつがいて、大人しいのもいるし、大変凶暴なやつもいる。中には、噛む、蹴る、抱き込む、なんというのもいる。

 しかし、半日くらい乗り廻すと、すっかり仲よしになる。馬から降りて手綱を離しても乗り手についてくる。本当に可愛いものだ。

 色々な思い出があるが、馬で感じたことが2つある。

 一つは引馬である。引馬とは初歩の訓練に、馬の口元の手綱を持って、たゞ馬と一緒に馬場を歩くことである。馴れないことと若干の怖さも手伝って、馬から自然と遠ざかるように歩く。遠ざかれば遠ざかるほど馬は自然と人間に近づく。時には馬に自分の足を踏んずけられる。馬の体重は4〜500キロもあるから、一寸でも踏まれると飛び上るほど痛い。下手をすると、足のゆびを骨折することもある。何回かやっているうちにコツを見付け出す。怖いけれど馬の方へ自分の体をよせるのである。何でもないようだがこれで大丈夫。

 こんなことは人間社会にも通じると思う。人間同志でも好き嫌いはある。嫌いだと思って離れようとすると、ますます仲が悪くなる。

 どんな人にも自分から近づいて行けば、相手から踏まれることはない。道も開けてくる。

 もう一つは手綱の締め方である。練兵場などで走っているとき、突然馬が狂奔する(気が狂ったように走り出すこと)ことがある。これを止めようと手綱を引けば引くほど走り出す。どうするか。これを止めるには頃合を見て逆に手綱を、クッとゆるめる。一瞬馬はとまどう。その機をのがさず手綱を、グッと引締める。こんなやり方を繰返す。

 社会でも、家庭でも、こんなことが大切ではなからうか。

 一人一人に近づく努力。締めっぱなしでなく、時にはゆるめたりの呼吸が、必要なことだと思う。

 これらのことは、70年前に馬から得た処世訓であった。