6組 中村 達夫 |
人間は80歳を過ぎ、余命が迫ってくると、何故か自分の思いを、子供や孫に伝えておきたくなるようです。 自分が相続した財産や、稼いだ資産を溜め込んだ人で、家族関係が複雑な人は、『相続財産分与の遺言』の作成が、老後の「最大関心事」のようですが、そのような心配の無い、気軽な環境の者にとって、自分の子供や孫に伝えておくことは、他人様にとっては、全く無関係なことですので、気を遣うことはありません。 しかし、ことが、「現代の若者に…」とか、「後世の日本人に…」とかに、是非伝えておきたいことということになると、我々の時代に過ごした者にとっては「やや考え込む」ことになり勝ちのように思われます。 第二次大戦中に青春を「無我」で過ごし、戦後日本の復興には「唯々ガムシャラ」に働き、最近の『泡の崩壊現象』に対する「施政者」の対応には「アレヨアレヨ」と懸念しながら見守るばかりの我々の世代の者は、どうも、『言い訳じみたことは言わぬこと』という風潮が染み込んでしまっているようにも思われます。 ごく最近になって、我々よりは5〜10年くらい若い人達ですが、『もう我慢はしていられない』、『この際後世に言い遺しておかねば』という元気の良い人達が、『単行本』や『文庫本』で「発言」を述べ始め、それなりの売上が評判になっているようですが、十二月クラブの皆さんには、言いたいことは山ほどに、頭の中を駆け巡っていて、またその能力があるのに、敢えて黙っている人が多いように思われます。 例えば「国際裁判」「戦争犯罪」「憲法改正」「選挙制度」「税制整備」「構造改革」「不良債権処理」「学級崩壊」「登校拒否」「若年犯罪」「外人による集団犯罪」等々の、最近における大問題の対策についても、その人達は、それぞれの専門分野では、問題の核心を抉る提言能力を所持しており、最近の経済学者・ジャーナリストや、政党人による「問題処理案」よりも、遥かに具体的で、有効な施策の提出が可能であるように思われます。 しかし、殆どの皆さんは、『もうこの齢になって、今更、何を言ったって、……』と話題を逸らせてしまうのです。そして結局は、他の人の言葉を借りて、間接的に物を言うようになってしまい勝なのです。 このことが、「謙虚な美風」なのか、「臆病・卑怯に繋がる謙譲」なのかは、後世の人達による『この世代を過ごした人達の在り方』についての『評価』によるものと「おまかせ」し、私自身も多少、そのような風潮に染まっているのかなと自覚していることを申しあげます。 いろいろと思いを巡らせた結果、私の『言い遺したいこと』も結局は、以前、さる飲食店の壁面に見付けた、『親父の小言』をご紹介する程度のことが『最適かな?』と思い、敢えて、受け売りすることになった次第です。 親父の小言 朝の機嫌はよくしろ 人には腹を立てるな 恩は遠くから返せ 人には馬鹿にされてろ 稼業には精を出せ 年忌法事をしろ 働いて儲けて使え 人には貸してやれ 女房は早く持て ばくちは決して打つな 大飯は喰うな 自分に過信するな 大事は覚悟しておけ 戸締まりに気をつけろ 拾わば届け身につけるな 何事も身分相応にしろ 泣きごとを言うな 神仏はよく拝め 人の苦労は助けてやれ 火は粗末にするな 風吹きには遠出するな 年寄りはいたわれ 子の言うことは八九聞くな 初心は忘れるな 借りて使うな 不吉は言うべからず 難渋な人にほどこせ 義理は欠かすな 大酒は飲むな 判子はきつく断れ 貧乏は苦にするな 水は絶やさぬようにしろ 怪我と災は恥じと思え 小商ものは値切るな 産前産後を大切にしろ 万事に気を配れ 病気を仰山にしろ 家内は笑って暮せ 相馬藩大聖寺暁竟仙僧正 為一家繁栄遺之 嶺城 [追 記] 同様の「小言」・「教え」は、諸々で見られます。一般には、創業者の『家訓』で10項目程度のものが多いのですが、この『小言』は、『相馬藩の寺の住職』が言い残したものとされていることが珍しくて書き留めました。 どうも、私の印象では、『僧職者』の言葉でなく、「大店の主人」の言のように思われますが、随分に『網羅』した「小言」で、何故、もう少し絞り込むことをせず、これ程に欲張ったのかなと、不思議に感じています。 でも『さすがは何にでも完璧主義の「相馬の人」だな』と、感心する内容であり、ここに、ご紹介した次第です。 私の「判読の誤り」がありますれば、ご容赦のほどお願いします。 |