『わが人生とは』 7組 金子太助

 

 その時々の時代と共に何んとなく過ごしてきたら、いつしか八十路を越して旧友達も櫛の歯が抜けるが如くこの世を去ってゆく現実をみて自分の余命も限りがあるなあと肌で感ずるようになったのは率直な昨今の気持です。60周年記念特集号発行のこの機会に『自分の人生は何んだったのか』頭の中を整理してみるのもあながち意味のないことでもないとの思いであえて拙文をまとめてみた。

 わが人生とは出合いの連続であった。その出合とは運命といってもよいのではないか。最近は老衰化が進み心身の調子も余り良くないのでついごろ寝しながら時代小説など読むことが多くなった。昔の封建時代では生まれた家により生涯拘束をうける。殿様、家老、その他格式のある家に生まれた者は代々世襲でそれが嫌で町人になった者も居ると聞いているがやはり外面的幸せより内面的な幸せを求めて心の満足を選んだものと思う。『人間の幸せとは何か』いつの時代でも考えさせられる問題である。

 さて、我々の時代はどうであったか。一應の生活安定のためには、大会社(財閥系)に就職し与えられた路線を忠実に守って職務に精励すれば何とか生活の基盤は得られる。それにはそれ相応の優秀な有名大学を卒業することが不可欠な条件であり所謂国立難関大学への合格卒業が必要であり、大概その線に沿って努力したが、その間あの世界第2次大戦に出合い、入隊、敗戦、そして3年半の抑留生活を経て復員、職場復帰、そのうち高度成長時代となり、その後55才で停年、取引先の船会社に第2の人生を求めて再就職、そのあと知人の世話で第3第4の職場でパート的に働きいつしか80才となり漸く職場をやめたが、その後2〜3年経って膀胱ポリーブ手術で入退院を繰り返し、それにひざ痛、腰痛が加わり歩くのも厄介、また抗がん剤服用中で一切のアルコール類を医師より禁ぜられ、従ってパーティなどつい億劫となり差控えているのが現状です。

 以上が大体過去と現状であるが過ぎ去った過去を思い出してみると私の場合は細かいことは省略するが大部分は出会った人との人間関係によって進路(自分が予ねて考えて居たことと一致を確認の上)をきめその線に沿って努力邁進してきた積りだが戦争だけは個人を超越、どうにもならなかったので成行に順応する以外に途はなかった。

 考えてみると我々の時代は努力、記憶力、忍耐(我慢)、が主で決められたレールの上を忠実に守りさえすればそれで済んだような気がするが、現代はそれだけでは不充分、大会社といえども社会経済状勢の変化により、リストラ、合併など行われ安定した生活など期待することは絵空事となりつゝあり、個人の創造力、勇気、決断が必要な時代でその意味では現代の方が大変の時代で我々の時代の方が過ごし易く楽であったかも知れないと思うことが時々あるのが昨今の感想である。

 余談になるが、最近五木寛之の大ロングセラーを映画化した『大河の一滴』に対し、原作者より人間は「生きている」ただそれだけで、値打ちがあると思うとのコメントあり、ぜひそのうち鑑賞したいと思っている。