7組 片柳梁太郎 |
今日(平成13年4月30日)は私の83才の誕生日である。何時の間にこんなに年齢をとってしまったのかと驚くばかりだが、60才を過ぎてからはとくに月日の経つのが早い。孫の成長を見ていると成程なとも思うがもう紛れもない老人である。気ばかり若い積りでも80を越えてからの体力の衰えはごまかし様がない。昨年痛めた腰痛は仲々快くならず、週2、3回は整骨院通いをしているし、夜中に小用に起きる回数も着実に増えてきている。 私は5年前に2年余になる斗病生活の末家内を亡くし、現在は独り暮らし老人の生活である。時には民生委員のオバさんが訪ねて呉れ、その時は強がりを言って元気そうな顔で応対するが、さて一人になると仲々大変である。夜更かしの朝寝坊で朝はゆっくり起きるが、先ず雨戸を18枚明ける。週4回は区分に従ってゴミを出す。(ゴミの種類によってはバカ早く取りに来るのでこれに遅れると大変)洗面髭剃をしてから仏壇のお茶を入れ、お花の水を替える。新聞を取ってここで一服。寝具を整えて朝食。朝はパン食が多いから簡単だが、毎日同じものでも飽きるので時には雑炊やお粥を作ったりもする。動作が遅いのでここまでタップリ1時間はかかる。 洗濯は全自動を使うので簡単だがアイロン掛けもある。掃除はものぐさで娘達かオバさんの来た時に掃除機をかけて貰う。昼は外出をした日は外食をするが、在宅の時はうどんを煮込んだり、素麺、時にはインスタントラーメンのこともある。花の散った時、落葉の時季には私道の清掃もかかせない。1日1回は食材の買出しに出掛けるが、腰痛のため重い物を持つのはニガ手である。近頃のスーパーでは一人前のエサも揃っていて便利であるが、おいしく酒を飲むために手抜きは余りしない。米、酒類、洗濯物は配達をしてくれるようになったので助かっている。 風呂は浴槽を洗うだけで後はボタン一つで沸かせるので大した手間にはならない。後は石鹸や洗剤の補充位だろうか。とにかく家事に費される時間は馬鹿にならないが、あまり不精をすると男やもめにウジが湧いても困るので、体の動く限りは一通りの事はやっている積りだが、オサンどん生活が身につくと心のゆとりや思考力が衰えるのではないかと心配している。 オサンどんの話が長くなったが年齢を取って最もひしひしと感じるのはついこの間まで目の前にいた親しかった人々が話し合うこともできず手の届かない所に消えて行くことである。両親はもとより、優しかった姉も妹も亡くなってから久しくなってしまった。こんな事なら元気だったうちにもっといろいろな事を聴いて置くのだったのにと後悔することしきりだが如何とも仕様がない。とに角昔話が通じる相手がいなくなったという事は生き残った者の宿命だとはいえ、悲しい事だ。また身内にも増して寂寥の感が深いのが親しかった師、先輩、後輩、友人ともう語り合うことができないのだという思いである。過去った事を一コマ一コマ明確に想うのは老人の常とは言え、最近は特にこの感が深まってくる。残された生のある限り、人と人とのつながりをますます大事にしして生きて行きたいと思う毎日である。 |