穂高連峰回顧 7組 栗田康平

 

 人生80歳を越え、終着駅の灯が見える此頃我が少年時代の頃がなつかしく想ひ出される。想えば数人の学友と共に、穂高連峰の槍岳に登ったことが、走馬燈の様に想ひ出される。私が最初に槍岳に登ったのは、昭和8年の盛夏であった。松本市より松本電鉄の電車に乗り、島々駅で降り、ピッケルやアイゼン等をルックにまとめて、上高地まで徒歩で向ったのである。余川の渡しを経て大正池を廻り、音に名高い合羽橋(河童橋)を渡り、五千尺旅館に一泊したのである。翌朝明神池を眺め、槍沢小屋・殺生小屋を経て、槍岳の頂上を極めたのである。

 穂高連峰はアルプス最高峰の奥穂高岳を中心に、北アルプス南部に位置して、奥穂高岳の南東は前穂高岳、南西は西穂高岳に至るのである。私は人生最后の想ひ出に、西穂高岳から登破しようと思ひ、平成13年7月、老齢をもかえりみず決意したのである。幸ひ奥飛騨温泉郷よりロープウェイが存在することを知り、息子に連れて行って貰らうことにしたのである。

 今回は岐阜県側より登山する案を立て、先づ名古屋より東海北陸自動車道を通り、幾つかのトンネルを経て飛騨清見まで行き、右に折れて158号線の道路に沿ひ、飛騨高山市を通りぬけて阿房峠に向ったのである。トンネルを前方に見て、左の道に入り新平湯温泉地帯に入ったのである。ここでめざす宿は「奥飛騨ガーデンホテル・焼岳」といふ7階建の立派なホテルである。夜は奥飛騨の懐にいだかれて、清流の音を聞き乍ら床に着いた。野天風呂も五ケ所あって気分爽快、満足したのである。

 翌朝は快晴にて新緑の小径を巡り、蒲田川の宝橋を渡り右に折れて進行した。ここは栃尾温泉地帯であり、蒲田川の左岸を数10分ほど昇り、雑木林の空地、即ち自動車置場に着いたのである。駐車場といっても砂利道であり、先着数10台の自家用車があった。降車してから第二ロープウェイの発着場まで歩いて行かなければならない。ここで我が身の足が大分弱ってゐることを悟ったのである。

 第二ロープウェイの発駅は、数百人の愛好家でひしめき合ってゐた。30分ほどして順番が廻って来た。このロープウェイの終点が西穂高口(2156米)であって、その屋上が展望台になってゐた。ここから見渡せば四方の山々が目の前に浮び、気宇壮大な気分であり、この身の幸せを感じた。三角錘の槍岳、煙りたなびく焼岳が雲間に光って見えた。ここで最初の計画通り西穂高山荘(2385米)まで行き度いと念じたが、老齢のため見送らざるを得ないという情けない回顧である。