7組 野崎義之 |
例年にない酷暑が続いて戦後56年振りの終戦記念日を迎えた。毎年8月の声をきくと軍隊生活を過した満州を思い出す。昭和17年2月入営以来、久留米、福岡、新京、久留米と各地を転々とした後、昭和18年3月満州第2643部隊に転属を命ぜられ、牡丹江省東寧県に赴任した。部隊は野戦貨物廠で、城子溝に本部を、牡丹江、河沿、大肛子川、老黒山に出張所をおき、管下部隊に対して糧秣、被服、需品等の補給業務に従事した。 満州といえば、広漠たる平原を連想していたが、ソ満国境の東寧地区は山あり川あり、変化の多い地勢で、気候も北辺の地方と比べると恵まれていた。戦局は開戦後の優勢から漸く敵の反攻が激しくなった頃であったが、満州ではまだ平穏を保っていた。その頃の思い出の一つが東寧如水会である。国境に於ける同窓会など予想もしてなかったので驚きと喜びが一入であった。時は昭和18年12月、会場は東寧街「水月」世話役は東寧地区在住の唯一の地方人上野氏で出席者は次の通りで上野氏の外はすべて軍人であった。 昭2学 関谷正夫(満州第4600部隊) 昭3門 岩崎登喜雄(2638) 〃 倉地圭二(2638) 昭7学 六笠六郎(2638) 昭14学 大和屋常喜(763) 〃 南丁巳知(2638) 昭15学 岡本元治(207)二口正道(207) 昭15門 上野新(中央銀行東寧支店) 昭16後学 戸辺勝利(2600) 〃 芦田正之(6916) 〃 折下 章(1013) 〃 小林ョ男(2638) 〃 野崎義之(2643) 遠く離れた部隊から集ったので殆どが初対面であり、階級も区々であったが、この日ばかりは年令や階級は無関係、学生時代にかえって、和気あいあいで盛り上った。話題は勿論国立時代の思い出話に終始し、終りは一橋会歌の合唱で締めた。後にも先にも一度の東寧如水会となったが生涯忘れることのない集いとなった。 その後戦局は悪化の一途を辿り、平穏に過して来た満州でも、南方応援や内地強化のため、部隊の移動が慌しく続いた。私も昭和20年4月、内地兵備要員として北部軍に転属になり、住みなれた満州を離れることになった。数ケ月後の昭和20年8月9日ソ連軍の侵入により満州は全面的に戦場と化したが、間もなく8月15日に終戦を迎えた。 東寧如水会々員の消息については、戦後如水会々報等により断片的に把握していたが現在生存者は極く僅かとなっている。戦死した方も2人を数え、岡本元治さんがバシー海峡で(19.8.19)、小林ョ男さんが吉林省蛟河で(20.9.29)共に護国の鬼と化した。過ぎし日を思い出して感無量、鬼籍に入った同窓諸氏のご冥福を祈って止まない。合掌。 |