ジャカランダの花 7組 斎藤一夫

 

 昨2000年10月に12月クラブ海外旅行同好会の「番外篇」として挙行されたという南・東アフリカ旅行の詳細な記録と印象的な感想文を興味深く拝読した(12月クラブ通信2000年12月号所載、執筆はそれぞれ新井隆君、鈴木貞夫君、なお本番の旅行は99年のアイルランド行きで終了したとのこと)。小生はたまたまこの同好会旅行にさき立つこと33年の1967年のほぼ同じ時期にアフリカの同じ地域を訪問しているので、いまを盛りと咲き誇るジャカランダの華麗な花とともに当時のことがなつかしく思い出される。さそわれて一筆したためることにした。

 同好会の旅行は10月16日から南ア共和国→ジンバブエ→タンザニア→ケニアの順で廻った10日間の旅だったという。小生たちは10月30日からケニア→ウガンダ→タンザニア→南ア共和国の順で20日間過ごした。通産省主催の4名構成の調査団の1員としての訪問だったので、同好会の旅行とは国は3カ国重なってはいるものの、地点としてはナイロビ、ヨハネスブルグ、プレトリアの3カ所しか重ならない。調査の目的はコーンスターチの原料となる白トウモロコシの開発輸入の可能性を探ることで、関係官庁、試験場、生産現場、流通市場、輸送施設などを精力的に訪ね歩いて多忙、観光といえばナイロビのサファリパークでライオンとシマウマを見た程度だった。だから同好会のかたがたと共通に楽しんだものといえばジャカランダの花程度にすぎない。ついでながら、高級澱粉としてのコーンスターチは錠剤などの製薬材料として使われるもので、白トウモロコシを原料とする。ところが、白トウモロコシは食糧に乏しい発展途上地域で主食として栽培・消費されるもので、入手がなかなか容易でないのである。

 さて、ジャカランダ Jacaranda に戻るが、これは南米ブラジル原産の落葉高木で南米ではハカランダと呼ぶ。南半球の春、円錐形・青紫色のたくさんの可憐な花を開いて、日本の桜のように公園や街路を彩る。ナイロビよりもヨハネスブルグやプレトリアのほうが一層華麗だった。ヨハネスブルグ駐在の長かった畏友小宮山武徳君などはこの豪華で快適な春を何回か楽まれたことであろう。

 1967年の訪問当時、この地域の原住民の生活は、それまでに小生が知っていた東南アジアやインドよりもさらに貧しく驚かされた。南ア共和国ではヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系の間の人種差別は公式に行われていて、交通機関その他公共施設の入口は別々、公園は白人以外は立入り禁止という事情にも一驚したものである(日本人のみは白人扱いとされていた)。

 周知のように、サハラ以南のいわゆるブラック・アフリカは世界の中で最も立ち後れた大陸である。鈴木貞夫君の旅行記によれば、南ア共和国を含めて訪れたいずれの国においても原住民の生活は相変らず貧しく昔のままのようである。南ア共和国は金、銀、ダイヤモンドなどの鉱物資源に恵まれ、工業化もある程進み、しかもマンデラ政権以後人種差別の桎梏からも解放されていて、ブラック・アフリカの成長センターたり得ると期待されている唯一の国であるが、今のところこの期待に応えるに至っていないようで残念である。