7組 菅井淑行 |
パリ市第17区クールセール街22番地。シャルル・ドゴール広場から徒歩10分。通りの真向いはモンソー公園である。リッツやクリヨンと並んでパリ最高級ホテルの一つに数えられるロワエアル・モンソーは公園の一角にある。 7月16日午後2時。4年ぶりに踏んだ此の土地。平凡な街の平凡な建物。その前で回想にふけるぼく。隣の女房殿には勿論ぼくの気持など分らう筈もない。 東京都の仏貨公債問題処理代表団の一員として,この建物に居を構える仏国有価証券所持人全国協会を始めて訪れてから,数えきれない歳月が流れている。 昭和27年。南廻り DC4でまる二昼夜を費して着いたパリは,まだ11月も10日を過ぎた許りと云うのにマロニエを始め街路樹は総て葉を落して了っていた。それから,29年・36年と三度の出張でこゝへ足を運んだ回数は30回にもなる。 仏側代表のピカールさん,エンスレールさん,ショーヴァールさん,バレスクさん。それぞれ特徴をお持ちだった。いま,こゝには,ぼくと女房殿のほかには誰もいない。すべては遠い彼方へ消え去って了ったのだらうか。だが,忘れられない顔と声。 前田克巳さんは大蔵大臣や日銀総裁などをなされた津島さんのご推薦で都の代表となられた。大蔵省の白キップ組であったが,行政査察部出向中にG・H・Q・と意見対立し40歳半ばで退官。当時原研の理事か東電の監査役をしておられた。先方との交渉・事務処理の何れにも抜群の力を示され頼もしい団長であった。後年乞われて殖産住宅の社長・会長にも就かれたが,ぼくは長年にわたり個人的にも数々の指導に預ったことを忘れ得ない。 横山正博さんは長く日仏銀行の支配人をつとめておられた。在仏経歴が長く,この上なくパリを愛しておられた。女婿の井川克一さんが書記官として大使館に在勤しており,井川さんのお嬢さんも可愛い盛りで毎日が楽しそうに見受けられた。お陰で度々井川さんから夕食に招かれたり,ロンシャンやオートイユの競馬場へ行く機会にも恵まれた。井川さんは後年イラン大使を経てフランス大使の重職にも就かれた。 フランス大使と云えば西村熊夫大使にも大変世話になった。西村さんは吉田総理の信任が厚く,条約局長としてサンフランシスコ会議にも出席された。都の関係会議には条約局長の要職にありながら欠かさず出席され,いつも有益なご意見を頂くことが出来た。パリ滞在が長くなり,日本食が恋しくなる頃には,きまって秘書の手島冷志さん(イタリア大使)から電話を頂戴し官邸にお招きを受けた。昭和28年の元旦,官邸のレセプションで日本の隆昌を祝ったことは一生忘れ得ない。 当時大使館は錚々たる人材で溢れていた。 参事官には経済局長から転じられた湯川盛夫さん(式部官長)が,また書記官には永井三樹三さん(ドイツ大使),井川さん,松永信雄さん(アメリカ大使)などが在勤し,これ以上のスタッフは見当らないと云ってよかった。後に政界に転じ,国務大臣にもなられた平泉渉さんも官補として在勤していた筈である。 食事は楽しかった。昼食はグラン・ブルヴァールあたりで摂る事が多かったが,夕食は入浴を済ませてからタクシーや地下鉄でカルチエ・ラタンやモザール街などへ出ることが度々だった。 食事と云えば,仏側代表をカフエ・ド・パリか,リッツへ招待した時,ぼくは,エンスレールさんからお説教(?)をきかされた事があった。外国人相手の宴席で,しかも先方の人数が多いときはパニックになって了う。右も左もフランス人では,もはや絶望的である。お隣りに坐った長身の法学博士エドモン・ド・エンスレール男爵から荘重なフランス語で話し掛けられたぼくは食事どころではない。片言の英語で「フランス語は,学校でも卒業してからも全く学習しなかったので分らない。」と答えざるを得なかった。すると老男爵は大きな眼を一層大きくして,ぼくに理解させようとしてか,一語一句,区切りをつけた英語で話し始めたのである。 「フランス語は,うたがいもなく世界で最も美しい言葉の一つである。貴下がこれを習わなかった事は誠に不幸であったと思う。パリでの生活をエンジョイしようとするならフランス語の修得が必要である。今からでもよいから早々に学んで欲しい。次回パリにこられる時には是非,フランス語を自由にあやつれるようになって頂きたい。貴下にとってもわがフランスにとってもきわめて望ましいことである。」 ぼくは時々うなずきながらこの有難い話を拝聴していた。そして「あなたのご好意は誠に有難く,ご期待に沿えるよう勉強したい。」 と答えぬ訳には行かなかった。 老男爵との約束から,四半世紀を経た今日。幾度か,この土地を踏む機会を持ちながら,いまだにボンジュール,オールヴォアール,メルシー,コンビアン,パルドンの五語以外のフランス語を口にし得ないぼくが,パリ市クールセール街22番地の古びた建物前で回想にふけっている。 隣に立っている女房殿には,ぼくの気持など,分らう筈もない。 |