7組 山田さかゑ・赤松彰子(山田音次郎の姉とその娘) |
○母の言い分(山田さかゑ) 平成11年8月4日 今日はゴミを何時までに出さねば……急いで庭を走った。 ちょっとしたものに足をとられて転倒した。電話機を幸い持って歩いていた。次男は出勤のためにエンジンをかけたとこ。娘宅は犬の散歩から帰ったところ。ああ、これだけでも幸いだったと心落ち着けて待った。 そして市民病院での入院生活が始まった。おじいさんのことは気になる。ところがどうしようもないこの自分。私はなるようにしか、と5人の子等を信じることにした。 車椅子の生活が始まった。「上手、上手」と看護婦にほめられて……「山田さん、運転方法見せてあげてよ」と声が飛んできた。 また、平静でいるつもりがやはり……心の底の不安は、寝言になって出た。大声でまことに恥ずかしいこと。 やがて退院後の場について、担当医の質問が始まった。受入の場として娘は専門的立場より、理想的な場を備える事を考えていた。娘宅に接続してアコーディオンドアを閉めれば独立建物になる。それが着工仕上がるまでサンビラに入所。お知り合いの人の快く接しられるのに、救われる思いだった。12月28日完成を待って退所となった。多くの人と交わった。娘夫婦の配慮の程、幸せと云う外なし。長男である第一の責任者が遠地に居住している。それのみが心にこだわる。然し58歳定年後を東洋紡の新しい職業の場に住宅付でその職を得ていると云うことも、それは又、長男の人生を大切に感謝していなければ……と云うことにしなければ… 11年12月末その理想建築に移り帰った。井上村民になった。そこで2人に三木で暮らした生活をと希っている娘夫婦の計画を実践すべきとなった。が意外なことに「おじいさんは異常状態を突然起こした」。暫らくして又又、しゅうらく苑に入苑となった。そこで体験した半身不随者の多いこと。長年入所の中には、新入所者に意地悪く接する人もある。三木の幼い頃より知る人も多くて救われる思いもした。ショートステイとしゅうらく苑週3日間・デイサービスとして志染デイサービスに週2日間の出席が始まった。 平成12年8月、骨折に関しては、押車を頼りにして日常生活はまあまあ、ただ内科的に頭がフワフワしたり、老化?口にしまりがなくなった感じも起きて来た。 娘夫婦は必死に頭の老化防止に心してくれている。とにかく、とにかく、娘よりは先に他界することの重要性をベストと考えることになった。 ○娘の言い分 忙しいと忘れる (赤松彰子) このとは並列の「と」と、順接の仮定条件の「と」と両方の「と」である。「忙しい、忙しい」「忘れた、忘れた」と口癖のように私は言う。もうひとつ、「忙しいので忘れた」と言い訳を繰り返す。 以前、忙しいも忘れるも、文字としては心を亡くすることだと書いたことがある。これは忘れていない。 昨年の暮れから、私の老母(87歳)と同居をしている。この人が絶対と言ってよいほど忘れない人なのである。 今は空家になった自宅から、品物を運んでいるが、どの部屋の、どのタンスの、どの引出しに入っているかを必ず言う。それが皆合っている! 今日はディサービス、ショートスティと一週間のうち家にいるには2日だけ。出かけるごとに場所によって違う持ち物を準備する。それも間違ったり、忘れたりはしない。 さらに自分の言ったことも、私の言ったこともイヤになるほどしっかり覚えている。先回り、後からの確認、そして「あんた忙しいので、よう忘れるからね」と必ず付け加える。 年とともに物忘れがひどくなるが、それを厳しく追及するのは、高齢者のプライドを傷つけるから良くないとも言われる。しかし、私と母に限って言うならば、いつも傷つけられているのは、母より若い私の方である。 40年間働いて来て、今年の夏に仕事日と休日を間違えてしまった。職場からの電話が母にバレなくて事なきを得たが……。 その話をしていると友人が言った。「主人がね、まわりに迷惑をかけるようになったら仕事を辞めろって、いつも言うのよ」と、何となく忠告めかして。 私もそろそろ退け時なのだろうか。仕事を辞めたら忙しいので忘れたと言えなくなる。 だんだん傷つく度合が増えるのだろうか。 ○母の言い分(山田さかゑ) 娘夫婦と暮らす日々 同居をはじめて、ちょうど1年になろうとしています。仕事を続けている娘はあわただしい朝食をすませると、5分足らずで行けるバス停へと走ります。 「お母さん、ごはんできていますよ」犬の散歩から帰った娘婿との食事。終わってテレビのニュースを見ていると、そろそろ9時。デイサービスへ出勤です。家の前にあるセンターまで、老人車を押し、娘婿に付き添われて行きますと、職員の方から「おはようございます」笑顔で迎えられます。(水・金曜日) デイサービスの嬉しいことは入浴、食事そして職員の方々が工夫された体操が遊技。婦人会活動で知り合った人とのオシャベリも元気のもとです。 デイサービスに行かない日(火・木曜日)は、手仕事と読書です。テレビもよく見ます。針を持つことが苦手の娘は、古くなったタオルをドサッと置いて「雑巾縫って」と言います。いつも30枚の雑巾を洗濯機で絞って、カゴに入れ、家中を拭いて、また洗濯して干すのです。新婚時代以来の娘流合理的拭き掃除だそうです。 最近はアクリルの毛糸でタワシを編んでいます。編み方の本と毛糸のいっぱい入った袋がドサッと届き「なんぼでも編んで」と言います。自宅用、孫一家へ、デイサービスの仲間へ、職員へ、娘の家(オシャベリルーム里の家)に出入りする人たちへ、娘の勤務先へ、編んでも編んでも、どんどん配られていきます。娘の意図は、私のボケ防止だろうと思います。 土、日、月は二泊三日のショートスティで夫の入っているしゅうらく苑に行きます。ボランティアの方と20分足らずのドライブです。夫は軽いボケと足腰が弱って来ました。老人車を押す私と、歩行器を押す夫とが、三日間だけ夫婦をしています。ボケた夫とずーっと一緒に暮らすのは、体力も気力も足りません。この三日間で、食事を共にし、ロビーで語るのが、老夫婦として精一杯のことかも……。 デイサービスのクリスマスカードに何かを書いて下さいと言われました。私は宇宙も含めて、すべてに幸せなる新しい年を迎えることを祈りつつ、筆をすすめました。 ○娘の言い分 母との一年間 (赤松彰子) 一昨年の暮れからはじまった母たちとの同居が、ちょうど一年になった。はじめは両親共に同居していたが、軽い痴呆のある父の見張り役の夫が二ケ月足らずでダウン。急性膵炎というかなりきわどい病気となり、一ケ月余入院することになった。この間、両親をしゅうらく苑にお願いをした。 この一ケ月余が両親の関係をまずくしてしまったようだ。痴呆でウロウロする父を職員にまかせればいいのに、母はしっかりと妻をやり、四六時中保護者をしていたらしく、精も根も尽きて二度と同居はしないと宣言した。 どちらかといえば、口うるさい母よりも、性格もおだやかな父との同居を望んでいた私ではあるが、「痴呆」の見張り番は限界もあり、やむを得ず選んだ方法が父の入所、母との同居であった。そして母のショートスティによる三日間の夫婦ごっこである。 その間に水曜か木曜に必ず私が父を訪ねるのだが、いつも「長い間、おかあちゃん(妻のこと)に会っていない。げんきしているか。」である。私と話をしている所が私の家だと思っているらしく、周りの人存在をあまり認識してない。先日も「お正月は家にかえりたい?」と聞くと、「ここが彰子の家やろ、もっと帰っておいで」と言われて、返事に困ってしまった。 職員の方々もやさしく、「山田さんはここで落ち着いているからあまり外泊はしない方が…」と気を使ってくださる。トイレと居室と食堂の場所が覚えられるのに半年もかかったのだから。 入所、ショートスティ、デイサービス、そして介護ボランティア(アイアイネット)による送迎と掃除(母の居室と我が家の台所)と、フルコースの介護メニューを駆使して日々の暮らしが成り立っている。 しかし、秋口に私の体重が3kg減少した。45kg中の3kgは大きい。その上、しつこい左半分の頭痛と胃痛に悩まされた。仕事を調整して検査通院の結果、「過労」と「神経性」と診断がついた。夫は「そんなの病院に行かんでも僕が診断つけたるわ」と笑い、私も妙に納得してしまった。 体重は何とか戻ったが、頭痛も胃痛も相変わらず続いている。 ○母の言い分(山田さかゑ) 娘の入院 孫は6人、そのおじいちゃんとおばあちゃん。これが私の娘夫婦です。 婿は62歳、娘は61歳。結婚以来大した病気もせず、健やかに、おだやかな生活の日々でした。そこへ私ども老夫婦、間もなく90歳になろうとする夫と、87歳になったばかりの私どもが身を寄せたのが、1昨年の暮れからです。年明けの2月に婿が入院しました。1ケ月程で快復し、今では元通りに私どもの世話をしてくれます。 娘は、1日1日の時の流れをフルに活用しています。1日は25時間、1ケ月は35日、1年は400日分とでも言える多忙極まる生活です。そこへ、老母がいるのです。 2月の或る日、 「明日から入院するわ。結果はどうなるか、いつまでの入院かわからないの。とにかくしゅうらく苑のショートスティに入って。荷物も少し多くして……」言い渡され、最悪のことも考えてしまいました。 苑の職員にあたたかく迎えられ、娘の状態まで心配していただきました。口座の通帳もハンコも預かっていますから、安心してください、と言われて、あとは娘の症状が最悪の事態にならねば……と思いました。 思ったより早く、ケアマネージャーの方から、娘が退院し落ち着いているので帰宅できますよ、と通知が届きました。もう娘の病状について最悪のことなど考えないようにしようとの心境になりました。 帰る時、苑の職員から、娘からのファックスを見せられました。急に思いがけない入所になったので、私が疲れてはないだろうか、と書かれていたのです。娘の行き届いた私への思いやりを思うと、娘がいとおしくなりました。 繰り返し思うことは、娘より1分でも早く、他界しなければ……。 ○娘の言い分 介護美談と老人虐待のはざま (赤松 彰子) 5年前から、やたら介護美談らしきものがマスコミをにぎわしています。特に男性の桝添氏、元高槻市長などの有名人をはじめ、市井の人たちも含めて、女性の場合は、池内淳子、石川牧子など、こちらも有名人が如何に充実した介護をする為に工夫や努力をしたかと語り、本を著しています。 さて、かく申す私も、保健婦としてプロの介護をしたいと腕まくりをしました。経済的負担はなかったものの、我が家の土地(夫名義)を使い、バリアフリーなる“離れ”を新築し、私の老親を引き取りました。ところが、1ケ月そこそこで夫が倒れ、老親2人の面倒は無理と、介護度の重い父を入所させたのです。それから1年、今度は娘の私が倒れました。あまりタチのよくない心臓発作。最大の原因はストレス……とか。 「赤松さんくらい自由勝手に生きていてもストレスがあるの?」「あなたの両親と同居して、夫がストレスで倒れるのはわかるけど、どうしてあなたが?」「実の母親でしょう。言いたいこと言ってもおたがいに許されるからいいわよ」「あなたのお母さんくらい、シャンとしていらしたら、何もお世話することないでしょう」「つれあいが良くされるから、勿体無いくらいよ。感謝しなくっちゃ…」 はいはいみんなごもっともです。私も、私の介護なんて介護のうちに入らないと思っています。土日月のショートスティに、水金のデイサービス。考えてみれば朝5回と夕5回の食事作りだけなんですよ。掃除はボランティアのヘルパーさんにお願いしてるのです。 でも、母の杖のコツコツという音が頭の芯に響き、ボリュームの高いテレビにいらつき、義歯の音に食欲が失せてしまうのです。杖も必要だし、耳も遠いし、年がゆけば自分も義歯になるのは分かっているのに……。保健婦というプロ意識も、実の娘だという感謝の気持ちも、何の役にも立たないのです。そんな自分に腹が立ち、許せないのです。母へのうとましい気持ちがないとは言えません。しかし、そのうとましさが嫌なのではなく、うとましく思う自分が嫌なのです。 なるべく近づかないようにしよう……。これは一つ間違うと介護放棄であり、無視をするというイジメです。老人虐待なのです。なぐりもつねりもしません。しかし、語りかけも返事もしないのです。 痛くなる頭と胃、早鐘のように胸打つ心臓。この状態でいつまで持ちこたえられるのでしょうか。 |