12月クラブ第13代幹事長 樽 央也 |
昭和16年12月太平洋戦争勃発に伴い,本来17年3月の卒業を3ケ月繰上げられて,学窓を出た我々352名の中,大方が軍隊に取られ,戦場へと駆り立てられて,不幸にも36名の友が露と消えた。痛恨の極みである。さらに昭和20年終戦を迎え,逐次復員して祖国の復興に貢献して来た友も次々と他界し,平成13年9月末現在で144名を数えるのみとなり,残された我々も全て80才を超えることとなった。本年は21世紀の幕開けの年であると共に我々の卒業60周年となる年でもあるので,一昨年末に会員・準会員の方々にお尋ねしたアンケートの集計結果に基づき,記念行事の一環として30,40,50周年の記念文集及び波涛1,2号に続き,今回は「クラブ通信特集号」として,記念号を発行することとしたところ,会員・準会員の皆様の絶大なるご協力とクラブ通信編集委員会 水田正二委員長始め委員方々のご努力により,立派な特集号の刊行を見ることが出来た。深く感謝致します。 卒業40周年の記念文集波涛1号の序文で,当時の幹事長 光永八太郎君が20年後の卒業60周年には何が出るのか胸がわくわくすると書いているが,この文集を見ることなく既に天国へ旅立ってしまったが,いみじくも君が言われた通り,12月クラブも昨12年12月27日 DCHP(12月クラブホームページ)委員会委員長 山崎坦君始め委員各位の努力により,12月クラブのホームページを公開することが出来,世界何処からでも12月クラブの活動を時を移さず見ることが出来ることとなったのは画期的なことと云えるであろう。 この文集は恐らく12月クラブとしては,最後の文集となることと思われるが,今回寄稿出来なかった天国に眠る学友各位に心からのご冥福をお祈りする。 |