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■リレーエッセイ

天使のピアノと美智子皇后

春本榮三 (Iクラス)

 今年1月「皇室2010」と云う新春特別テレビ番組がTBS安住アナウンサー司会で放送されました。皆さんご覧になられたでしょうか。美智子皇后のご成婚時の画面もたくさん出て懐かしい思いをしましたが、番組の後半で突如「天使のピアノ」なる話が聞こえてきました。私はちょうど「天使のピアノ」について最近関心を持っていたのでビックリして、よく見るとやはり「石井筆子」の「天使のピアノ」でした。「天使のピアノ」とか、「石井筆子」と云っても知らない方が多いでしょう。正直言って皇室の新春番組で石井筆子が出てくるとは思いませんでした。皆さんは天使のピアノをご存知ですか。実は一橋ともチョット関係ある話なので皆様にお話ししましょう。
 
  天使のピアノについては、江戸末期長崎大村生まれの渡辺筆子と云う才色兼備で後に「鹿鳴館の華」と言われた女性が弾いていたアップライト型ピアノで、横浜のドイツ・ドーリング商会が明治18年に作製したものだそうです。日本最古のピアノの一つと言われています。このピアノは正面の左右に蜀台がありピアノ中央に二人の子供を抱く天使のガラス絵が焼き付けられているので、天使のピアノと言われ、近年修復したとのことでした。このピアノは筆子が最初の結婚をしたときのお嫁入り道具であったようです。
  この天使のピアノが国立谷保にある知的障害者の施設「滝乃川学園」で発見され修復されたのでした。何故天使のピアノが滝乃川学園にあったのかですが、これには大きな歴史の流れがあるのです。
 
  まず石井筆子(旧姓渡辺)と云う女性ですが、父親は渡辺清と云い長崎大村の出身です。渡辺清は戊辰戦争で活躍し、また西郷隆盛が品川で勝海舟と江戸城明け渡し交渉をしたとき、西郷は江戸城攻略も考えていたのでしょうが、パークス英国公使の意見を伝令役であった渡辺清が的確に西郷に伝えたこともあり、無血開城で最終決着したのです。清はその後福岡県令や福島県令になり男爵の爵位を授けられます。なお清の弟渡辺昇は、剣豪ですが、大阪府知事になり子爵の爵位を授けられています。彼は坂本龍馬と共に薩長同盟実現への道をつけたとのことです。兄弟とも明治政府成立には深く貢献したのでした。
 
  さて兄である渡辺清の娘筆子は明治5年11歳で上京、一橋近くの竹橋にあった官立の東京女学校(通称竹橋女学校)に明治6年入学します。同級生には穂積歌子(渋沢栄一の娘・陳重の妻)や鳩山春子(旧姓多賀・和夫の妻)がいましたが、明治10年東京女学校は西南の役で戦費を使い過ぎたことから廃止され、御茶ノ水の師範学校英語科に筆子は籍をおくこととなります。しかし英語の授業は行われず、英語の勉強に関して聖書研究を兼ねてアメリカから来日したクララホイットニーの塾に通い英語を習っています。クララは、お筆さんのような模範を目の前にし、他の生徒も急速に進歩した、と誉めていたようです。
 
  やがて明治12年グラント将軍が世界一周旅行で来日するのですが、先ず長崎に上陸しました。当時筆子は父が福岡県令となっていたこともあり、父と共にグラント将軍を出迎えたのです。其のとき将軍から「日本で最も聡明な女性」と賞されたのでした。グラント将軍は英語力並びに其の美しさにビックリしたようです。筆子18歳のときです。また明治13年美子皇后(はるこ皇后・明治天皇の皇后・昭憲皇太后)の要請で仏蘭西に留学するのです。しかし留学に先立ち親同士が早くから決めていた小鹿島家の小鹿島果(工部大学校生で鉱山局出仕予定)との仮祝言をしてから旅立ったのです。
 
  ところで筆子が英語を学んだクララホイットニーは後に勝海舟の三男と結婚することになります。人生の不思議というか明治期の人たちの中では当然のことなのかも知れませんが、江戸城明け渡しに際し西郷隆盛の側で勝海舟との交渉に係わった渡辺清の娘が、勝海舟の三男の嫁となるアメリカ人クララに英語を教えてもらうというめぐり合わせの不思議さを感じます。なおクララホイットニーの父親はウイリアムホイットニーと云い、実は明治8年森有礼により銀座で商法講習所が開設される際にアメリカから来たお雇外国人で商業学に通じ森有礼に見出されて日本に来たのです。
  皆さん暇なときがあったら国立の一橋大学附属図書館の2階閲覧室入り口にある外国人の大きな肖像画をご覧になって下さい。ウイリアムホイットニーです。ただ何故か森有礼はホイットニーが来日すると今一の対応であり、ホイットニーとしては困っていたところを勝海舟が援助の手を差し伸べたのでした。なお商法講習所での授業は総て英語で教育したとのことです。
 
  筆子の話に戻りますが、筆子は仏蘭西から明治15年帰国しますが、明治18年には華族女学校が開校されます。そして筆子は仏蘭西語嘱託教師となるのですが、皇后様はもともと仏蘭西に留学させたときからあるいは考えておられたのではないでしょうか(津田梅子が英語を担当する)。そして多くの華族の令嬢が筆子の教え子となり、大正天皇の皇后となる貞明皇后(九条節子・くじょうさだこ)も筆子は教えています。またちょうど鹿鳴館での舞踏会華やかな時代であり、明治17年の鹿鳴館大バザーや明治22年青木外務次官主催の舞踏会等で筆子は注目を浴びたようです。ピアノに関してもおそらくレッスンを重ね讃美歌をはじめ色々な曲が弾けたのではないでしょうか。当時東大医学部のお雇外国人ベルツも「ベルツの日記」のなかで「自分が今まで出会った最も魅力ある女性の一人で、英語、仏蘭西語、和蘭語を達者に話す」と記述されています。
  そして明治31年筆子37歳のとき筆子は伊藤博文と大隈重信が発案し、アメリカデンバーで開催される万国夫人倶楽部大会に津田梅子と共に日本代表として出席するのです。これには皇后も女子教育の奨励になると大賛成で、ご下賜金を出されたとのことです。
 
  ここまでは華やかなる人生なのですが、一方で筆子は三人の子供を産んでいます。しかし長女は生まれながらの知的障害児でした。また後の二人も早くして亡くなってしまいます。夫も若くして35歳で明治25年亡くなります。悲しみの中で筆子は子供を滝乃川学園に入園させますが、そこで学園創立者で佐賀出身の石井亮一と出会うのです。そして石井亮一の障害者教育に魅せられ、総ての女学校の職を辞し滝乃川学園に住み込み園児の世話をするようになりやがて石井亮一と結婚するのです。つまり彼女の後半生は障害者と共にあるのです。施設の運営が行き詰まった時は渋沢栄一が理事長になって支えたこともあったようです。また昭和3年に国立の谷保に移転しますが、この地は大隈候が別荘とする予定の地であったそうです。やがて昭和12年亮一が死去、第2代園長となり、大東亜戦争により大変苦労をしていくこととなります。やがて筆子は昭和19年84歳で逝去、今多摩墓地に眠っていますが、お墓は多摩墓地の正門近くにあり私もお参りしました。
 
  ところでこの日本最初の障害児教育の滝乃川学園について、美智子皇后は相当前からご存知だったとは思いますが、交流の大きなきっかけは平成4年に美智子皇后が滝乃川学園を天皇陛下とご訪問されたことにあると思います。このときの映像も今回放送されましたが、特にトランポリンで遊んでいた子供が、急に皇后様に飛びついたとき、極めて自然にやさしく撫ぜてあげる姿に、その場にいた皆さんの驚きと感動を呼ぶこととなります。私もこのときの皇后様の障害児に対して、やさしい笑顔で対応する姿にはビックリしました。
  私は5年ほど前にご存知の方も多いと思いますが、ドイツの障害者の町ベーテル(ヘブライ語で「神の家」・1867年設立・2万人が利用できる病院や職業訓練施設があり、1万3千人の人が働いている)を訪問しました。そのとき案内役のダビーネさんが、平成5年に天皇皇后両陛下がお見えになり障害者の方々と懇親したとき、美智子皇后の腰をかがめて目線を合わせる姿には、ご一緒したベーテルの職員の皆さんも感動したと話されていました。きっと滝乃川学園と同じだったのでしょう。感動を呼ぶ気持ちに国境はありませんね。
 
  ところで天使のピアノは、平成14年に2年間の修復を終え紀尾井ホールでコンサートを開催したのですが、美智子皇后も出席され、是非弾いてみたいと話されたようで、平成19年12月にお忍びで滝乃川学園を訪問され天使のピアノを弾かれたとのことです。聴衆はきっと石井筆子が弾いているような気持ちを受けたのではないでしょうか。
  明治はとっくに遠くになりにけりですが、石井筆子とクララホイットニー、そして父親であるウイリアムホイットニーを助けた勝海舟、ホイットニーを日本に招聘した森有礼と一橋(商法講習所)、滝乃川学園を助けた渋沢栄一、さらに筆子のお嫁入り道具であった天使のピアノと美智子皇后、人のつながりは何処でどう繋がるか分からないとつくづく思います。この話は新春テレビ放送を見ての感想ですが、明治の人達のすごさに圧倒されます。
 
参考:1.「筆子その愛 天使のピアノ」映画・・常磐貴子主演(インターネット掲載)
    2.「われよわくとも・障害者の街ベーテルに生きて」・・ヒュウステベック節子著
    (148頁〜162頁参照、皆様のご近所の区立乃至市立図書館で読んでみてください)

以上

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ベーテルにある日本庭園前にて
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