後藤ゼミ最終レポート

【小問(1)】(反対意見)

<裁判所が下すべき判断について>

 XがAを死亡させたのは殺意によるのか傷害の故意によるのか不明の場合、裁判所はいかなる判断をなすべきか。予備的認定によって殺人罪(刑法199条)の訴因から傷害致死罪(刑法205条)の認定が可能か、問題となる。

 そもそも予備的認定が許されるのは、訴因と裁判所の心証として合理的疑いを越えた事実とが包摂・被包摂の関係にある場合、被包摂事実については審判対象として検察官の黙示的予備的訴追意思が認められ、また被告人の防御の対象に既になっているためこうした事実を認定しても不意打ちにはならないからである。

 そこで、本問で問題となる殺人罪と傷害致死罪について包摂・被包摂の関係が成立するか。結果的加重犯の重い結果について過失ないし予見可能性が必要か否かがそれに関連して問題となる。

 私は、結果的加重犯の重い結果につき少なくとも予見可能性があった場合に限り、加重結果について帰責可能と考える。なぜなら、偶然の事情によって重い結果が発生した場合にまでその重い結果を被告人に帰責する事は責任主義に反すると考えるからである。また構成要件の持つ一般性・客観性の観点から、予見可能性の有無の判断は被告人の認識のみならず一般人が予見しえたかどうかも基準とすべきである。そして構成要件の行為規範性から予見可能性の有無の判断時は行為時とすべきである。

 そして殺人罪と傷害致死罪の包摂・被包摂の関係については傷害致死罪における死の結果に対する予見可能性が殺人罪における故意の一部としての死の結果に対する予見可能性と同視しうるかが問題となるが、否定すべきである。なぜなら、傷害致死罪における予見可能性の有無については、被告人が殺人罪の故意を争うことで同時に争う機会を与えられたと言うことはできず、これを同視してしまうと被告人の防御上著しく不利益となるからである。

 よって、殺人罪と傷害致死罪について包摂・被包摂の関係は成立せず、殺人罪の訴因で傷害致死罪を予備的に認定することはできない。

 以上より、裁判所は検察官に求釈明(刑訴規則208条)をし、検察官が訴因変更(刑訴法312条)を行えば改めてXの暴行時にAの死についての客観的予見可能性及び主観的予見可能性の有無を判断し、傷害致死罪または傷害罪(刑法294条)の認定をなすべきである。検察官が訴因変更をしない場合は傷害致死罪の罪責は問えないが、殺人罪と傷害罪では防御の利益の点でも検察官の訴追意思の点でも包摂・被包摂の関係に立つといえるので合理的疑いを越える証明のなされた範囲にある傷害罪を認定すべきである。

 なおいずれの場合もA宅への住居侵入を手段としていることから、住居侵入罪(刑法130条)との牽連犯(刑法54条1項後段)となる。

<手続法上の問題点>

 裁判所に訴因変更命令義務が生じるかについては、当事者主義(刑訴法256条6項、298条1項、312条1項参照)に立つ現行法上否定するべきである。ただし、当事者に不意打ちとなることを避けるべく、求釈明義務は認めるべきであると考える。本問において求釈明がなされない場合は、審理不尽として控訴理由(刑訴法379条)になると考える。 

 

【小問(2)】

 <裁判所が下すべき判断について>

 この問題では先ず場合分けを行う。検察官が一つの傷害致死の結果について訴追する意思であった場合と、二つの暴行行為について訴追する意思であった場合の二通りが考えられるからである。

1:先ず検察官が一つの傷害致死罪について訴追する意思であった場合、問題となるのはどちらの暴行行為が死の結果を発生させたか、つまり審判の対象とされたかということである。これは端的に、起訴事実とされた暴行行為の時間の認定についての問題である。

 我々は同一構成要件内の択一関係にある事実については、たとえ択一的認定をしてもその範囲での証明がなされていれば犯罪行為自体についての合理的疑いを入れない証明がなされうると考える。

 よって本問事例でも有罪とされる事実の日時については択一的認定が許されると考える。この場合、裁判所はXについて単純一罪として傷害罪または傷害致死罪で有罪判決をなすべきである。

2:次に検察官が二つの暴行行為について起訴した趣旨であればどうか。

 この二つの行為が包括一罪となるか、併合罪となるか。ここでは罪数関係が先ず問題となる。

 包括一罪については@その犯罪を実現しようとする行為者の一個の人格態度(主観的継続性)、A時間的場所的近接性,B侵害される保護法益の共通性、が要件になる。

 本問について、ABについては同じA宅、たった三時間後ということで問題ないであろう。問題は@であるが、これも「さらに懲らしめてやろう」という意思は「先ほどの暴行行為を、さらに継続してやろう」という意思と考えられ、主観的継続性も認められる。

 よってかかる場合は包括一罪(接続犯)が認められる。

 では本問を接続犯の事例と考えた場合、接続犯内の各行為と結果との間の因果関係について択一的認定が許されるか。

 これについても日時についての択一的認定と同様、同一構成要件内の択一関係にある事実にあたるので、全体としてみて「合理的疑いを越える証明」がなされていれば、択一的認定が許されると考える。

 本問ではAに対して暴行を加えたのはXしかおらず、同一構成要件内の因果関係の問題であることにつき合理的な疑いは生じ得ない。

 以上よりこの場合も裁判所はXに対して傷害罪または傷害致死罪の包括一罪として有罪判決をなすべきである。

3:なお、検察官の訴追意思については求釈明等を通じて明らかにされればよいと考える。

<手続法上の問題点について>

 本問でも(1)同様、訴因変更と予備的認定の問題が生じるが、(1)と同様に扱えば良いであろう。

 

【小問(3)】

<裁判所が下すべき判断について>

 本問において裁判所は、Xが実行したことについては合理的な疑いを超える心証を抱いている。しかし、Yとの共謀の事実の存否については、裁判所はいずれにも確信を得ることができないでいる。すなわち、Xの単独犯であるのか、Yとの共同正犯であるのかが特定できないでいる。このような場合に裁判所はどのような判断を下すべきか。

 この点、Xが実行行為を行ったことについて、裁判所が確信を抱いている以上、単独犯か共同正犯かが確定できないからといって無罪にすることは、生命という重大な法益が侵害されていることから、妥当でない。

 またこの場合、確かに共同正犯と単独犯は事実の面では包摂・被包摂の関係にあるが、犯情の面で共同正犯の方が軽い場合もある。よって、常に予備的認定をして単独犯と認定し、量刑を判断することは、被告人にとって不利益をもたらし許されない。

 そもそも、判決を下す時点では、当該事件において、単独犯と共同正犯とでどちらが犯情が軽いか、すなわち、共謀の事実の存在が被告人にとって有利であるか、不利益であるかは明らかとなる、といえる。

 そして、まず、@判決の時点で共謀の事実がXにとって不利な事実である場合には、その事実の存在についての立証責任は検察官が負うと解すべきである。よって、検察官が共謀の事実を立証できない以上、利益原則からして共謀の事実を認定することは許されず、単独犯と認定すべきである。この場合には、当然単独犯で量刑を判断することになる。

 次に、A共謀の事実がXにとって有利な事実である場合、検察官は共謀の事実の不存在について立証責任を負うと解すべきである。なぜなら、このような場合には通常共謀の事実の存否が争点化されていると考えられるが、このような場合に検察官が被告人の犯情を軽くする共謀の事実の存在について積極的に立証責任を負っていると解することは、共謀の事実の存否が不明な場合に被告人にとって不利益な認定をもたらすこととなり、妥当でないからである。

 また、争点化された場合に、違法性阻却事由の不存在について検察官が立証責任を負うことに比しても、このように解すべきである。

 したがって、A判決の時点でYとの共謀の事実がXにとって有利な量刑事情であるときには検察官は共謀の事実の不存在について立証責任を負うのであるから、その立証ができていない以上、裁判所は共同正犯と認定すべきである。

 以上のことをまとめると、@判決の時点で共謀の事実がXにとって不利な量刑事情である場合には、裁判所は単独犯と認定し、A判決の時点でYとの共謀の事実がXにとって有利な量刑事情である場合には、裁判所は共同正犯と認定すべきである。

 また、これは裁判所の心証に忠実な判決であるが、より裁判所の心証が明確に現れるように、判決の理由において事実認定の過程を明確に再現するべきである。

 そして以上のように解することは、認定した事実と量刑判断の基礎となる事実が分離しない点、合理的な疑いを超える程度の証明がなされていない事実を認定していない点で択一的認定をすることに比べ優れているといえよう。

 

<手続法上の問題点について>

 本問においては、「共謀の可能性が浮上」していることから、訴因変更を必要とする見解があると考えられ、その点について検討する。

 そもそも訴因変更の要否の問題とは、裁判所が判決において認定しようとする事実を原訴因のまま認定できるかどうかの問題であって、原訴因と異なる事実の可能性が浮上したからといってただちに訴因変更が必要となるわけではない。そこで本問においては、殺人の単独犯の訴因から裁判所が認定しようとする事実を認定できるかどうかを検討すべきである。

 まず@の場合、すなわち裁判所が単独犯と認定するには、原訴因通りの認定であるから、訴因変更は当然に不要である。

 そしてAの場合、すなわち共同正犯と認定することは、単独犯の原訴因との関係で、訴因変更が必要かどうかが問題となる。

 しかし、この場合にも訴因変更は不要である。

 なぜなら、そもそも、訴因変更の要否の基準は一般的、抽象的に被告人の防御に不利益が生じる事実の変更があるか否かで判断すべきであるが、単独犯の訴因から共同正犯の訴因への訴因変更が問題になる場合は、類型的に共謀の事実の存否が争点化すると考えられるので、一般的・抽象的に被告人の防御権侵害の契機はないといえる。

 また、この場合共同正犯の訴因については検察官は黙示的・予備的に主張しておらず、検察官が主張していない事実を認定する点で問題となるが、検察官が主張していない事実であっても原訴因に比べて被告人に有利な事実であれば、認定してもよいと解すべきである。なぜなら、検察官としても無罪判決よりも共謀共同正犯の限度での有罪判決を望むであろうし、このように解さなければ、殺人罪の訴因から承諾殺人罪の訴因への縮小認定を理論的に認めることができないからである。

 したがって、@、Aの場合の双方について、訴因変更は不要である。

 

【小問(4)】

<裁判所の下すべき判断について>

 XがYと共謀したことは疑いないが、実行したのがXのみかYのみか、或いは両名であるか不明な場合、裁判所はいかなる判断を下すべきか。XをA殺人の共謀共同正犯として有罪認定をすることができるかが問題となるが、共謀共同正犯として処罰するには@共謀の事実及びA共謀者の誰かが実行行為を行ったことの証明が要件となるところ、Xに関してはXが共謀のみに参加した共謀共同正犯か、共謀のみならず実行をも行ったか不明であることから問題となる。

 (3)の様な単独犯と共謀共同正犯との関係では、共謀共同正犯になることによって量刑事情として重くなるか軽くなるかは必ずしも明らかではない。しかし、共謀のみに加わった共謀共同正犯と実行まで行った共謀共同正犯の関係を考えると、実行を行うことによって量刑が軽くなるとは考え難く、類型的に実行を行った共謀共同正犯の方が量刑が重くなると考えられる。

 このことから小問(3)のように考えると、実行を行った事実は被告人に不利な要素として検察官に立証責任があると考えられる。

 本問では裁判所はXがYとが共謀をしていたことについては確信しているがXが実行を行ったことについて未だ合理的な疑いを超える確信に至っていない。しかし共謀者たるX、Yのうちの少なくとも一方が実行犯となっていることに関しては確信を得ている。よってXは共謀のみに加わった共謀共同正犯の範囲でのみ罰しうる。

 では実行犯の認定について、裁判所はいかなる判断を下すべきか。

 先ず、実行犯の確定の要否が問題となるが、共謀共同正犯は実行者がいて初めて可罰性が生まれるため、その特定も必要と考える。

 そして前述の通りXを実行犯としては扱えないため、反射的にYを実行犯として認定せざるを得ない。

 以上より、Xは共謀のみに加わった共謀共同正犯として認定・科刑されるべきであり、実行犯の認定はYの単独実行と認定すべきである。

<手続法上の問題点について>

 本問でも共謀共同正犯と認定するには訴因変更が必要かが問題となるが、この点、原訴因は殺人の単独犯である以上、共謀のみに加わった共謀共同正犯を認定するには訴因変更が必要であると解すべきである。なぜなら、原訴因の事実であるXの単独実行の事実と認定しようとしている事実である共謀の事実は全く重なり合わず、裁判所が共謀の事実の存在について合理的な疑いを挟めば被告人は無罪となる可能性があり、訴因変更しないまま認定することは被告人にとって防御上の不利益があるといえるからである。

 

【小問(5)】

<裁判所の下すべき判断について>

 本問でXによるBへの殺人について、裁判所は起訴を許しB殺人罪について審理をすべきか、あるいは免訴判決(刑訴法337条)をなすべきか。一事不再理効の客観的範囲がまず問題となる。

 一事不再理効とは二重の危険の法理の帰結であり、一度審判の危険にさらされた事件については再度審判の危険にさらされないとすることで被告人の地位を安定させる趣旨と考えられる。

 とすれば、反対に、審判の対象となりえなかった事実については一事不再理効を及ぼす必要はない。また及ぼせば今度は被告人を不当に利することとなる。

 そこで、一事不再理効は事実上または法律上同時審判の可能性のあった事実についてのみ及ぶものと考える。また事実上審判が可能であったか否かは、検察官側に大きな訴追裁量が与えられていることとの均衡から、「唯一の証拠が公判終了後に発見され、それが前訴公判終了までに発見されなかったことが、当該事件において一般的に期待される捜査レベルからしてやむを得ないといえる場合であったことを検察官側が立証できたか否か」で判断すべきである。

 本問ではB殺人の事実について、殺人罪は親告罪ではないので法律上審判不能ということは考えられない。そこで事実上審判が可能であったか否かが問題となるが、これは問題文からは明らかではない。

 よって、上記基準によって事実上審判が不可能だったとされる場合には、裁判所はB殺人についての起訴を許し、Xについて再度殺人罪で有罪判決をなすべきである。 

 では、事実上審判が可能である余地があった場合には一事不再理効が新たな起訴に及ぶか。本問住居侵入罪とBへの殺人罪が一罪となるか、先ずその前提として二罪間に牽連関係が認められるかが問題となる。

 牽連犯とは、二つの犯罪が手段または結果の関係にある場合にはそれらを一罪として取り扱うというものである。そしてその趣旨は、一方の罪を行おうとすれば他方をも通常行いがちな場合に、それらの犯罪を密接な関係にあることから一体として把握することにある。また、牽連関係について主観的要素を加えると捜査が糾問化し、被告人が虚偽の主観的関連性を認めることで不公平が生じるなどの弊害があるため、類型的・客観的な判断が望ましいと言える。

 とすれば、二つの罪が牽連犯となるには、類型的・客観的にその二罪が手段・結果の関係に立つことを要するとすべきである。

 これを本問についてみてみると、住居侵入罪と殺人罪は類型的に、手段・結果の関係に立つ。これはたとえ本問のように偶発的なものであっても成り立つものとすべきである。

 よって本件Bへの殺人罪と住居侵入罪は牽連犯となる。

 しかし、本件事例では住居侵入とA殺人についても牽連関係が認められる。そこで、B殺人と住居侵入との間にも一罪性を認定できるか。次に所謂かすがい理論の肯否が問題となる。

 かすがい理論については刑の均衡等から批判があるが、理論上の一貫性の観点から肯定すべきである。刑の不均衡については量刑で調整すべきと考える。

 本問ではA殺人とB殺人について、同一機会の住居侵入がかすがいとなっているが、このことから三罪は一罪として扱われるべきであり、一事不再理効もその範囲で及ぼされるべきである。従って、事実的審判可能性が認められる場合は、一事不再理効も及ぶため新たなB殺人での起訴に対しては裁判所は免訴判決をなすべきである。