後藤昭
『わたしたちと裁判』
(1997年、岩波ジュニア新書288)


目次

はじめに
第一章 髪型の自由を訴えた子どもたち
第二章 裁判とはどんなものか
第三章 裁判所へ行ってみよう
第四章 法律を扱う人たち
第五章 裁判と法
あとがき
付録:地方裁判所の所在
付録:裁判傍聴の催しを行っている団体

法律学でしばしば用いられる難解な概念・用語を使用せず、「裁判のしくみやはたらきについて、なるべくわかりやすく説明し」た本(引用部分は「はしがき」より)。「丸刈り校則訴訟」「大阪空港訴訟」「隣人訴訟事件」などの具体例を扱う中で、裁判の流れ(手続き)、傍聴のための案内、裁判への関与者が説明されていく。第五章では裁判による「ルールの形成」にも話が及んでいる。実は法律の解釈として多様な見解が生じうることを平易に説明する。
そんな中で、筆者の見方も随所に見られる。例えば、隣人訴訟を説明する中で、筆者は判決に不満を持った人々が裁判官ではなく原告への個人攻撃に向かったことを、「法や裁判に対する無力感」の表れだとする(本書187-189頁)。また、弁護士と依頼人の関係について説明する中で、「先生」という呼び名が身近な感じをさせず相談しにくくしているとした上で「このように呼び方を、だんだんなくしていきたいと思っています」とする(同124頁)。
他にも、「はしがき」、第二章で宮沢賢治の詩の一節「ソショウ」は「ツマラナイ」という見方への反論から説明を始める裁判の特質、第五章の中で法を木に例える部分、「あとがき」など筆者の法へのまなざしを直接に読み取れる部分は多い(紹介者自身は実はこの本が結構好きである)。なお、酒巻匡「Bookshelf:後藤昭著・わたしたちと裁判」法学教室203号64頁(1997年)に本書の書評がある。