●はじめに
暑い日であった。JR武蔵野線北府中駅に集合し、全員揃ったところで府中刑務所に向かった。関係者の住宅と思われる団地街を通りぬけ、一見刑務所内かと疑うほどの立派な建造物が我々の視界に飛び込んできた。
その建物に入り、刑務官の方から、見学に際し、説明を受けた。
●所内の一般的説明
*被収容者
定員は、2598名で、現在の収容者数は、2367名であるから、定員の九割近くが埋まっている計算である。東京拘置所が収容能力を越えはじめている為、全国の刑務所に分散させるのに苦労しているらしい。
府中刑務所は、B級受刑者(犯罪傾向が進んでいる26歳以上の者)、及び外国人受刑者(F級)が収容されている。窃盗犯・覚醒剤使用者が大半を占め、殺人犯や強盗犯も中にはいる。近年、こうした凶悪犯罪者が増加している。外国人犯罪の凶悪化が原因だという。因みに、A級というのは、犯罪傾向が進んでいない26歳以上の者を指し、M級というのは、精神障害者を指し、P級というのは、医療面のサポートが必要な受刑者を指す。又、Yというのは、26歳以下の者を指し、Lというのは、執行刑期が8年以上の者を指す。
平均年齢は、B級受刑者は46歳、F級受刑者は35.9歳である。平均刑期は、B級受刑者は2年6月、F級受刑者は5年6月である。又、平均入所回数は、B級受刑者は5回、F級受刑者は1回である。つまり、日本人受刑者は外国人受刑者に比べてかなり年齢が上であり、累犯が多いのである。実際、年齢に関しては、垣間見た印象では、まさしくその通りであった。
*外国人受刑者
現在、府中刑務所には、38ヶ国・約500名の外国人受刑者が入所している。この人数は、年々増加傾向にあり、収監者の増加に一役買っている。人種の80%はアジア系で、欧米人は10%程度だという。然し、見学した印象では、欧米人が多い感じがした。
宗教・食習慣は、出来る限り、尊重される。肉食を禁忌している受刑者に対しては、別献立の食事が出るし、宗教毎のミサなども行われている。イスラム教徒には、独居房でひざまづくことが出来るように、絨毯状の布を貸し出しているらしい。随分気を使っているのだな、というのが率直な感想である。
新聞は、三誌(日本語・中国語・英語)を読む事が出来る。房の前に、何の新聞を読むか表示してある。因みに、逃走手段のような記事については、検閲が入り、黒く塗りつぶされるらしい。
外国人受刑者は、九割近くが仮釈放され、殆ど全員(97%)が本国へ強制送還される。因みに、日本人受刑者は逆に、仮釈放の割合は二割に留まり、殆どが刑期満了で出所する。
府中刑務所国際対策室には、7名の通訳がいる。手紙の翻訳や、大使館との折衝を主な仕事とするが、他刑務所からの翻訳依頼も、相当数ある。TV電話を使った遠隔地システムが、稼動する予定である。これは、府中刑務所・東京拘置所・栃木女子刑務所と繋ぐ。
*検閲の意義
刑務所は、憲法で禁止されている(憲法21条2項)検閲が、例外的に許されている。その理由として、拘禁を害する内容のものを読ませない事と、心情把握の為だという。
確かに、極めて説得的であるし、理性では充分納得がいく。然し、かなり感情的に考えると、外部との数少ない接触について、検閲が入るというのは、抑圧されている(と思われている)受刑者の心情を、必要以上に害するのではないだろうか。検閲は、必要最小限に留めるべきであって、濫用は許されないのは当然である。そうはいうものの、外部からチェックする機能は、ない。
その後、いよいよ刑務所内の見学をする時が来た。
●見学
・刑務所側からの注意点
#工場内での私語厳禁
#携帯電話・煙草・ライターの持込禁止
#二列に隊列を組み、女性は真中に入れる
・外国人独居
外国人のニーズを汲み取る為に、ベッドを導入している。但し、独居房の半数くらいの数しかない。広さは、三畳よりやや広いくらいか。房内には、テレビ、洗面道具、位しかめぼしいものは無く、殺風景な印象である。他に、ラジオが備え付けられているが、テレビと同様、チャンネル選択権はない。尚、外国人は殆ど独居房である。言語習慣の違いがその主たる理由だという。
・日本人独居
広さは三畳の畳敷き。それ以外は、外国人独居房とさほど変わらない。日本人受刑者は、基本的に雑居房に入れられるらしいので、独居房は、集団生活に適さない者などに限定される。数が少ない為、止むを得ないという。
・雑居房
広さは九畳。ここに六人の囚人が生活するのだから、少し手狭な感じを受けた。実際、受刑者が食事を摂っている場面に遭遇したのだが、窮屈そうであった。トイレは、独居房と異なり、個室に区切られていた。基本的に日本人のみで構成されているが、外国人受刑者増加の為、試験的に外国人を数人混ぜている房もある。
・食堂
見学途中に、二回ほど食堂の前を通った。いい匂いがした。大量に仕入れて作るので、一日の一人分の食費は、500円程度だという。献立は、若干品目が少ないと感じたものの、量は思ったより多かった。
・講堂
古ぼけた木造建築で、かなりノスタルジックな雰囲気を醸し出す建物であった。昔は全受刑者を一堂に集めていたらしいが、最近は受刑者の増加の為、安全上二つに分けているらしい。その分、演目を行う人(歌手など)は、全く同じ事を二回行わなければならず、面倒をかけている、と刑務官の方が言っていた。老朽化が進んでおり、来年には取り壊す運命にある。
・工場
幾つかの工場を見学した。たまたま午後の休憩が終了した時であり、正に軍隊式の号令をかけて、点呼を取っていた。鋼鉄製のドアから垣間見たその光景は、かなり緊張感溢れ、異様な雰囲気に圧倒された。
制作するものは、革靴、木製箪笥、などである。府中刑務所は、累犯者が多いので、得意な刑務作業というものを持つものが中にはいるので、その希望を聞く事があるらしい。皆一心不乱に作業をしていたが、時たま受刑者と目が合って、少々気まずい思いをした。見学したいと思っていろいろ見ようとしたのであるが、一心不乱に作業している受刑者をじろじろ見るのも何となく失礼であると感じ、思ったより見学する事が出来なかった。
これらの刑務作業品は、売られている。見本品が飾られていたし、優秀作品の賞状が、いくつも飾られていた。最近は、不況の影響からか、工場の受注が減少している為、受注を取るのに苦労しているようだ。
ここで作業を覚えて、社会復帰を目指す一助となることを、刑務作業の目的としている。然し、本音としては、何もせずに刑務所内で飼い殺しておくよりは、何かさせていた方が良いのだろう、と考えた。又、折角ここで作業を覚えても、いざ社会復帰した時にそこで雇われなければ意味がないのでは、と少々疑問に思った。
刑務作業では、「労働の対価として」報酬を与える形態を取っていない。飽く迄「賞与」という形態である。因みに、一日に貰える「賞与」は、平均して300円くらいであり、極めて少ない。単純計算すると、平均して月に4000円くらいである。注意しなければならないのは、これは、釈放時に支給されるものである、ということである。更に、この全てが支給される訳ではなく、自分の日用品の購入費、外部への送金など、かなり用途が広く、丸ごと手元に残るということはまずない、ということである。ちょっと安すぎるのではないだろうか、と素朴に感じた。
・雑感
途中に何度か受刑者が歩いている姿を目撃した。二列に隊列を組み、規則正しく歩いていた。服は作業服なのか、グレーの服を着ていた。我々とすれ違う時には、受刑者側が廊下側を向いて待機していた。受刑者のプライバシー保護と、我々の安全確保の為だろう。
刑務官同士は、顔を合わせるたびに敬礼をしていた。その迫力は、かなり凄いものがあった。
以前は、女性の見学を差し控える時期もあったらしいが、今回は、そうではなかった。禁止にする理由も、何となく理解できた。理由は、実際に中を歩いてみればわかる。あの雰囲気は、相当独特である。
●質疑応答
学生から質疑が幾つかあった。余談だが、冷たいお茶が出た。
※ここでは、先述した内容に重複しない項目を幾つか挙げることにする。
・所内の違法行為
主なものを挙げると、怠役(287件/年)、収容者同士の喧嘩・口論(217件/年)、職員への暴行(20件/年)、賭博類似行為(18件/年)、窃食・喝食(12件/年)が挙げられる。尚、所外への逃走行為は、1935年の改称以来、1件も無い。
違法行為ではないが、自殺は、年に数件発生しているらしい。部屋の点検を日常的に行ったり、なるべく受刑者の兆候を把握するよう心掛けているが、完全に防止する事は、難しいという。
・懲罰の種類
軽屏禁(ケイヘイキン)が一般的である。これは、独居房で丸一日反省させるものである。他に、文書図画閲覧禁止が一般的である。尚、これらの懲罰は、併用される事もしばしばある。
保護房の使用もある(33件/年)。
・刑務官について
大卒が増加している。刑務官試験を受けた者と、国家一種を受けた者、武道選考(柔剣道等四段以上)を受けた者が、混在している。
受刑者には、作業中、夕食後、部屋外との会話を禁じており、それ以外は基本的に自由に会話を許している。但し、刑務官が受刑者に対してプライヴェートなことを話す事については、意見がわかれる。最近では、若い職員が海千山千の老獪な受刑者に丸め込まれ無い為に、受刑者との会話を規制する方向にある。然し、受刑者とのふれあいが薄くなってしまうとの批判がある。以上は、府中刑務所においての話であり、他の刑務所については、必ずしもそうではない。
刑務官の装備は、処遇部(受刑者と直接関わる部署で、見廻り、警備など)は、手錠くらいしかなく、基本的には素手である。
●おわりに
見学が終了し、外に出てみると、夕立とおぼしき雨が降っていた。我々が困惑していたところ、わざわざ北府中駅までワゴンで送り届けて頂いた。
(文責:福田裕一・4期生)
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