四万十川でカヌーを漕ぐ

2012年7月20日から 7月24日まで、「日本最後の清流」といわれる高知県四万十川でのカヌーの合宿に参加した。今回同様M君の企画・アレンジで過去にも何回か実施されたが、僕は海外駐在中であったため参加できず、残念な思いをしていた。N君に声をかけてもらい、70歳を過ぎて、今回参加できたことは至上の喜びだった。この報告では、カヌーに限らず旅の思い出も記してみたい。

7月20日(金)
羽田空港に朝07:00に集合。参加者7名の平均年齢は65.7歳。ただし男性参加者5名の平均は72.6歳。高知という地名につき、N君は「県名は明治維新で新たに作ったものが多いので、高知も新しいのではないか。」との意見。僕は「『土佐の高知のはりまや橋で』という歌は、江戸時代のことを歌ったものだろうから、明治維新より前にあったはず」。高知空港に着くと、観光案内の看板に高知城が示してあり、「城の名前が明治維新で変わるわけがない」ということで一件落着。

空港ではジャンボ・タクシー(マイクロ・バス)に迎えられた。
僕は四国へ来るのが2回目。最初は高校2年終わりの修学旅行で瀬戸内海側の数か所のみ。四国は島を単純に縦と横に4等分していると思っているほどお粗末な知識しかない。地図で高知県が横に長くて、空港から四万十川までかなり遠いなあと実感。確かに2時間以上かかった。博識な運転手さんが、バスガイド顔負けの四国・高知紹介が楽しかった。
*高知県の県民性:山と海にかこまれ閉鎖的。よそものを歓迎しない。
*名誉県民:「南国土佐を後にして」のペギー葉山と「龍馬がゆく」の司馬遼太郎。
*高知では夫のみならず妻も酒を飲む。皿鉢(さわち)料理は、妻の手を煩わせないため
 に大皿にいろいろ盛ることが起源。(帰宅後Wikipediaで調べると神事の料理が起源で、
 妻の酒云々との説明はなかった。)
*皿鉢料理の有名な店は高知市ではTだが、高くて地元の人は行かない。
*四万十川はもと「わたり川」といったが、住民の請願で改名した。「なぜ?」という質問に
 対し、「四万十はブランド地名であったから、川にもその名をつけたかった。」と。
途中で土産物屋による。運転手さんのお薦めは「川のり」。「芋けんぴ」が6種類ほど試食できて美味しい。いずれも帰途に買うことにした。「けんぴ」を漢字でどのように書くか議論になったが、誰も分からず後日調べることにする。
「ふるさと交流センター」に着き、ラーメンを昼食にいただく。カヌーを指導してくださる四万十塾・塾長「とーるさん」のグループがすでに、川沿いの草地にキャンプを張っておいてくれたので、そこへ荷物を運ぶ。睡眠のためのテントは1〜2名用。大きなテントが全員の食事用に用意されている。

午後は早速カヌーの初歩の授業。
僕の学生時代はボートの練習と同じ場所でカナディアン・カヌーとカヤックの練習もしていたから、両者の違いは漠然とは知っていた。櫂はオールとはよばず、パドルという。カヌーのパドルは片方ブレードで水に近い手を手前に引き、もう一方の手を向こうに押す。カヤックは両面ブレードで一人の漕ぎ手が左右交互に漕ぐ。ボートは進行方向を背にして漕ぐが、カヌー、カヤックは進行方向を前方に見て漕ぐ。
今回我々が漕ぐのはカナディアン・カヌーである。舳先をBow、艇尾をStern、舷縁をGunnel (Gunwale), 横に渡した木をYokeというのはボートと同じ。
今回僕が初めて知ったこと。
*片膝たてて漕ぐと思っていたが、平時は腰かけて、波が荒く不安定な時には両膝をたてて
 漕ぐ。
*舳手が主に漕ぐが、艇尾の漕ぎ手の主務は舵で、漕ぐのは舳手の1/3程度。
*カヤックではヘルメット着用が義務付けられているが、カヌーでは日よけ帽子でよい。岩に
 頭をぶつけるチャンスがより少ないのか?
*カヌーでは物を載せるスぺ−スが広い。
さて今回は生徒7名に対して指導員6名という贅沢さである。とーるさんが一人漕ぎをしながら全体を視る。最も経験のある生徒2名がペアを組む。残った5名は1名の指導員とペアを組む。

僕は若い女性の指導員とのペアとなった。ボートでコックス(舵手)をしていたからといので、艇尾で漕ぐことになった。前にも述べたようにパドルを舵として方向を定めるのが主務だが、どうしても漕ぎすぎてしまう。

左舷艇尾で漕ぐのは難しくない。といっても「左手をひくだけでなく右手を押すように」注意されたが。また平行移動のために、左(時計の9時)にパドルを延ばして手前にひくこと、艇を右に向けるため、9時から6時にパドルを大きく回すこと、艇を左旋回させるために6時から9時にまわすこと、これらはそれほど難しくない。最も難しいのは、パドルを艇の下に入れて、漕がずに舵としてのみ使う時で、舳主が右舷側で漕いでいても艇がまっすぐ進むように舵をかすかに動かすことだが、これがうまくいかない。

初日の練習は次の通り。キャンプ場の前の川で、先ず上流に進み、艇を転じて下流に流され、岩の右を過ぎるときに艇を左急旋回して舳先を岩につけて小休止。その後、艇をやや左上流に向けて岩を離れる。さいわい沈をせずに済んだ。

7月21日(土)
午前は、昨日午前と同じ練習。一度、艇は沈まなかったが、僕だけが放り出されるという経験をした。艇が岩を離れるときに、艇が波と並行になり、波に押されて左舷が 下がり、右舷から水が入るのを防ぐのには自分の重心を左に傾けるべきだったのを、右舷を下げようと重心を右に傾けたから、右舷からもっと水が入ってきたのだ。
「沈をしたら、脚を下流に向けてあおむけに寝る。自艇につかまらず、救助艇に助けられるのを流されながら待つ」と聞いていたのに、普通に平泳ぎをして自艇にもどろうとしてしまった。

午後は、全員でキャンプ場から2~3KM下流まで下った。また上流に向かって漕いでもどると思っていたら、「そんなの無理ですよ」と、「とーるさん」に笑われた。マイクロバスでキャンプ場にもどり、またマイクロバスで十和温泉という銭湯のような温泉へ行った。そこのご主人によれば「四万十川では昔15M先まで透明に見えたが今では2Mまでしか見えない。鮎が激減した。濁りの原因は流れ込む支流にダムができて泥がながれこむため」とのこと。夕食時に鮎をもってきてくれる地元の漁師(林業と兼業)の方によれば、戦時中に鉄鋼所用水力発電所のためにダムを造ったらしい。

7月22日(日)
今日はキャプテンM君の提案で、生徒と指導員ではなく、生徒だけでペアを組むことになった。過去には川下りをしながら、毎日テントを異なる川岸に設営して いたそうだが、今回は一個所のキャンプ場から、異なる場所へ動くのはマイクロバスに頼ることになった。参加者の年齢が高いため。
 というわけで、まずはキャンプ場からマイクロバスで6KM下り、そこで3.1Mの高さの沈下橋(ちんかばし)[注]から飛び込む洗礼。それからカヌーを漕いで8~10KM下る予定だった。川面は穏やかで、漕がないで流されることが多かった。途中波の高く流れの速いところが2か所あり、1か所目で、波をうまくのりきれず、艇もろとも相棒のI君も僕も沈。岸へ艇をひきあげるときに気がつくと、かなり深い場所だった。途中で子供のカヤックや、犬をつれたカナディアン・カヌーに出会った。2度目の難所はきりぬけて、その近く(出発点から4KMほどか?)に艇を止め、スパゲッティの昼食。
(画像のクリックで拡大表示)
出発点から6KMくらいのところで、流れ込む支流との角に艇をあげて休んだが、雷鳴とともに雨が降り出したために、今日の行程はこれまでとなった。ここから艇を屋根にくくりつけたマイクロバスに乗ってもどる。途中十和温泉で風呂をあびる。

[注] 沈下橋とは、大水のときに水面下に沈むように作られた橋のこと。流木などがひっかかって壊れるのを防ぐため欄干が無い特徴を持っています。

7月23日(月)
今日は午前中だけ、キャンプ場の前で、初日午後、二日目午前を同じ練習を、今度は生徒だけのペアでやってみる。初回はうまくいったが、2回目に勢いよく沈をした。I君と共にめげずに「納得のいくまで」と3回目、4回目にも挑戦する。 舵とりがうまくいかず、I君には迷惑をかけた。完全に納得が行った訳ではないので、また来たくなりそう。昼食をキャンプ場でとってからマイクロバスで高知市へ、そして空港へ向かうので、早めに丘に上がる。

四万十では栗焼酎が名物で、途中酒屋さんに連れて行ってもらう。僕は、栗焼酎をかけて食べるケーキを買った。さらに往路に寄った土産物屋で川のりの佃煮と芋けんぴを買った。ところで芋を千切りにしてかりん糖のように揚げた「けんぴ」は夜の雑談時間に参加者の女性KさんがInternetで調べて「堅干」または「犬皮」と書くことが分かった。前者が本当の感じがする。
空港へ行く前に高知市に入ってもらい、高知城を見学、天守閣に入る時間はなかったが、二の丸跡までのぼり、天守閣をまじかに観た。大きなものではないが、下から見上げるとなかなかの威容である。階段の一段一段の歩幅が長いので、「昔の人は背が低かったはずなのになぜか?」という話になった。土産物屋のおばさんによれば、「敵が攻め上がりにくくするため」とのこと。なるほど。
空港で夕食。運転手さんが「いくな」と言ったTがあった。本店とは異なり、高知空港支店は、より大衆的で1,300〜1,500円の土佐料理定食があった。

食事について
四万十塾・塾長「とーるさん」は四万十に移り住んで18年。193cmの偉丈夫だが、繊細な気遣いの持ち主。カヌートレッキング指導という仕事を休んで、東日本震災後のカヌー仲間による救援ボランティア活動を組織・主導した。今回合宿中の中央テントで作る毎食の料理長でもある。2度同じ料理がでるということがなかった。その中のかなりのものが「焚火料理塾」にレシピと共に載っているので、この本を買い求めた。
初日のカツオのたたきはもとより、ミートローフ、鶏のパリパリ揚げ、イカスミのパエリャ、 ミルクティーの寒天、米・ひき肉・卵が鍋の中で層になっているオムライス、などなど、とにかくどれも美味しい。
アボカ豆腐サラダ、ネバーランド(おくら、納豆、長いも、納豆昆布、醤油)など愉快に命名されたものがある。ところでアイヌ語由来とされる「四万十」の元の意味を「とーるさん」に教えていただいた。「とても美しい」「きわめて神聖な」という意味の「シ・マムタ」が語源だそうだ。


 

夕焼け

準備体操
(画像のクリックで拡大表示)
夕食後翌日午前一時頃までの焼酎(僕は主に梅酒)をかたむけながらの旧友との雑談も楽しかったが、ここでは省略する。

以上