バーン=ジョーンズ展を観る

 2012年7月18日、東京駅は京葉線との連絡通路に、バーン=ジョーンズ展の広告を見た。仕事の帰りで午後4時近く。これから十分な観賞時間があるか多少不安なるも、意を決し三菱一号美術館に向かう。入場料1,500円。閉館は午後6時。3階、2階、1階と合計80点の展示があるので全部見切れるか気になったが、階が下がるにつれて展示数が減っていき、20点をカバーする音声ガイド(500円)をゆっくり聞いても閉館前に観賞し終えることができた。

 一人の画家の展示会としては充実していた。展示目録には英語もあり、壁の説明に英語がないかわりに、英語の要約説明ビラがある。ここに書かれた題材の物語の説明には、日本語のそれより詳しい個所がある。英語の音声ガイドはないが、日本での展示としては外人に親切だ。しかし写真と模写を禁じているところは、いかにも日本らしい。

1.総説:

1-1バーン=ジョーンズに影響を与えた人:
ラファエル前派の画家ロセッティ、オックスフォードで知り合い生涯の友となった詩人・工芸活動家・社会運動家ウィリアム・モリス、ラファエル前派を擁護し、バーン=ジョーンズに助言を与えた評論家ラスキンである。

1-2 ロセッティ:
師ロセッティとの関係の詳説はなかった。ロセッティ自身、弟子バーン=ジョーンズからも影響を受けたと言うのだが。バーン=ジョーンズとロセッティの描く女性の顔は似ている。絵の色調は一般的にロセッティの方がバーン=ジョーンズより明るい。バーン=ジョーンズにも「黄金の階段」のような明るい色調のものもあるにはあるが。

1-3 ウィリアム・モリス:
本展覧会ではウィリアム・モリスとのアーツ・アンド・クラフツ運動における協力に詳しい説明がなされていた。ラスキンもモリスも社会主義者だが、その点では、展示会では言及していないが、バーン=ジョーンズは影響を受けなかったらしい。むしろモリスの社会主義ゆえに、バーン=ジョーンズが関係を一時疎遠にし、また友好関係を回復したようだ。バーン=ジョーンズへの注文主にはバルフォアのような金持ちの保守党政治家がいる。イスラエル建国で二枚舌の英国を代表するバルフォア宣言のバルフォアである。 もっともモリスの経営するモリス商会(タペストルー、ステンドグラス、本の装丁など)の顧客だって金持ち階級のはず。モリスは、自己の心情と信条のバランスをどうとっていたのだろうか?これは本展示会とは関係ないことだが、平凡社新書「ウィリアム・モリスのマルクス主義」なる本を先日本屋で見かけた。いつか調べてみたい。

1-4 ラファエル前派:
1848年にロセッティ、ハント、ミレイが組織したBrotherhood。世代の異なるバーン=ジョーンズは「ラファエル前派の後継者」とも「ラファエル前派末期の画家」ともいわれる。Brotherhoodの盟約は、ラファエロやルネッサンス形式に追随するのでなく、14,15世紀に活躍した芸術家のように「自然そのものにもどる」ことでイギリス王立美術院(ロイヤル・アカデミー)に反旗を翻したものだったが、ミレイ(日本では、夏目漱石の「草枕」にも引用されている「オフェリア」で有名) は、その後アカデーに回帰して総裁となる。ハントだけが、終生Brotherhoodの、ぎこちない自然主義、太陽に照らしだされた色彩、因習にとらわれない主題、を維持したという。

バーン=ジョーンズはロセッティを通じてラファエル前派を継承するも、この展示会の副題となっている「装飾と象徴」に、その特徴がある。Aesthetic (耽美、審美、唯美などと訳される)Movementの一つに位置づけられる。

1-5 ビアズリー: この展示会では言及されていなかったが、25歳で夭折したビアズリーは、バーン=ジョーンズを自ら訪ね、偶々そこにいたオスカー・ワイルドを紹介されている。ビアズリーは日本の版画とラファエル前派の影響を受けている。

2. 個々の展指示作品について:
バーン=ジョーンズがバーミンガム出身のためかバーミンガム美術館からの出展が多い。


クピッドとプシュケ

慈悲深き騎士

龍を退治する聖ゲオルギウス
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クピッドとプシュケ:
ここで描かれているクピッド(キューピッド)は子供でなく青年である。
若い男女の絵だが、リアルでなくぎこちない。何点か同じ主題のものがあるが、最大のものはモリス商会が富豪ジョージ・ハワードの新築豪邸の食堂にかざる-ために納めたものという。

慈悲深き騎士
これは賞を得たものと言うが、僕の目にはぎこちなく見える。騎士の顔が情けない。後述する聖ゲオルギウス(St. George)も、ペルセウスも同じ男をモデルとしているようだが、情けない顔をしている。バーン=ジョーンズの絵画を小説家のヘンリー・ジェームズが「 偶然の現実でなく自然の装飾的反映に影響された様式をもつ『反映』と『知的な贅沢』の芸術」として褒めたことも適切と思うと同時に、当時の新聞がバーン=ジョーンズの絵画を「不可解な主題」と「雄々しくない人物像」を非難したことも頷ける。

龍を退治する聖ゲオルギウス
後述のペルセウスより「伝統的な構図」である。バーン=ジョーンズは初めてのイタリア訪問でカルパッチョを模写したそうだが、この絵からカルパッチョの影響を読みとることは僕にはできなかった。王女サブラが退治の様子を見ている絵は僕には珍しかった。蛇足ながらEnglandの守護神でもあるSt.Georgeは現トルコのカッパドキア出身で、龍を退治した場所は現リビアということだ。


大海蛇を退治するペルセウス

メドーサの死U

運命の車輪
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大海蛇を退治するペルセウス
説明にある躍動感は感じなかったが、画面一杯の劇画的効果と様式美は感じた。

メドーサの死II
劇画的躍動感がある。 日本の浮世絵のような人を驚かす構図だが、ビアズリーのように日本の絵からの影響は感じられない。こんな奇怪な絵がバルフォアの邸宅をかざるためというから、日本人の感覚には合わない。

運命の車輪
おとくいの寓意画Allegoryである。右側の男性にはミケランジェロの影響がみてとれるが、逞しさは感じられない。運命の車輪に翻弄される人間だから当然ではある。左の女神は、バーン=ジョーンズの他の絵画の女性よりは男性的にも見える。

ペレウスの饗宴
バーン=ジョーンズとしては明るい色彩である。トロイ戦争のもととなった黄金のリンゴの絵画は普通、三美神とパリスのみのものが多いが、ここでは登場人(神)物が多すぎてややこしく、説明を読まないとどれが誰か分からなかった。筋肉質の描写はミケランジェロに倣っているが、力強さはない。 蛇足ながら、パリスとトロイのヘレンを題材にしたオオペレッタ、オッフェンバクの「美しきヘレナ」というのがあったね。

ペレウスの饗宴(クリックすると拡大写真になります)


フローラ
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フローラ
見憶えのある親しみやすい絵だ。郡山市美術館蔵という。女の子が喜びそうな絵だ。描き方ではなく、主題的にチェコのミュシャに通じると思った。


ピグマリオンと彫像
彫刻家ピグマリオンは初めの二枚が女性みたいだ。両性具有的というべきか。4枚目のピグマリオンは男性と分かるが。ガラテアは生命を女神にふきこまれる前も後もぎこちなくて彫像にちかい。同じ主題でフランスのアカデミック絵画のジャ=レオン・ジェロームによるものがさるが、こちらの方が写実的。
ただし、この画題のためのバーン=ジョーンズによる「マリア・ザンバコ頭部習作」は彼の描く女性のなかで最も「人間らしい」。モデルが愛人であるからか?
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オペレッタではズッペの「美しきガラテア」があるが、ミュージカルの「マイ・フェア・レイディー」が有名。そのもとになった劇「ピグマリオン」を書いたバーナード=ショーを本展示会英文説明に「the English playwright」とあったが、このEnglishは「英文の」でなく「イギリス人の」と読まれやすい。ショーはイギリスで活躍したけれどアイルランド人だ。「the greatest playwright in the English language of the 20th century」としたら間違いなかっただろうに。


マリア・ザンバコ 頭部習作

(展示品ではないが参考のため: ジャン=レオン・ジェロームによる「ピグマリオンとガラテア」)
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いばら姫
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いばら姫[眠れる森の美女]
本展示会のよびものの一つである大きな美しい絵の他に、小さな習作-連作が多くあった。いずれも姫と従者三人がすべて眠っているので異様に感じる。




東方の三博士の礼拝
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東方の三博士の礼拝
古いフランドルのタピストリーを見なれた目には、これは新品同様の色あざやかなタペストリーだ。本展示会にはもうひとつのタペストリー「巡礼を導く『愛』」があったが、愛を寓意した女性の顔がよくなかった。三博士の礼拝
の絵画の真ん中に大天使が描かれているのは、僕には珍しかった。それにしても、ここに描かれたヨセフは爺さんすぎるなあ。


風刺的自画像
ワッツが描いたバーン=ジョーンズの肖像は陰気な爺さんの顔で、陰気な画風に合っている。ところが風刺的自画像は山積する仕事に追われる自分をコミカルに描いて、彼のもうひとつの面を見せてくれた。ほっとした。

「トリスタンとイゾルデの墓」というステンドグラスの下絵、「騎士ランスロットの夢」「アーサー王の眠り」など「アーサー王と聖杯の騎士」物語関連の絵も興味深かったが、紙面が尽きたので省略する。

帰宅後、バーン=ジョーンズがいつごろから日本で知られるようになったか佐渡谷重信の「漱石と世紀末芸術」を調べたら、帝国文学の明治31年(1898年)9月号にすでに「画家バアンジオンズ」が載っているという。「歌舞伎」明治37年7月号に漱石が「キング・アーサー」の舞台装置と衣装をバーン=ジョーンズが担当していると報告している。
なおこの展示会は8月19日まで。
最近、東京美術から「もっと知りたいバーン=ジョーンズ 生涯と作品」という本が出うだが、僕はまだ見ていない。

以上