ミューザ川崎でモーツァルトを聴く
2015年6月5日 虎長

 5月31日(日)、ミューザ川崎シンフォニーホールで2つのコンサートを聴いた。
世界の10指に入るような海外オーケストラの公演は入場券が高く頻繁には行けない。夜のザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団は伝統があり、ザルツブルグ音楽祭で重要な役割を担う名門であるが、今回の入場券は高くない。その上、同日のマチネの東京交響楽団(ミューザ川崎が本拠地)の入場券と合わせて買うと20%割引となるのが魅力だった。

ミューザ川崎シンフォニーホール:

 公害都市川崎(主に駅東側)のイメージを変えるための都市計画で、駅西側にモールや高層オフィスビル等とともに建てられたもの。以前、高校同窓会誌でホール設計者小林洋子さん(静岡高校81期)の記事を見て、同校75期の僕は興味をもっていた。ベルリン・フィルは舞台を客席がとりかこむヴィンヤード式を共有するホールであるフィルファーモニアを本拠とする。その指揮者サイモン・ラトルがミューザ川崎の音響の良さを称賛したという。初めて訪れたミューザ川崎シンフォニールは実にすっきりした造り。小林さんによれば、日本的に非対称でスパイラル(渦巻き)構造にしたとのこと。舞台の左右の壁は浴室の壁の様な反響効果を狙った、と僕は勝手に理解した。反響しあう音がスパイラル状に上昇して天井の大きな穴に入って、戻ってくると想像する。

シンフォニーホール内部

ウルバンスキ

ヌヴー
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東京交響楽団による第21回モーツァルト・マチネ:

 全席指定で同価格だが、入場券を遅く買ったためか席は3階。でも、立見席から谷底をのぞくような感じはなく、不満はなかった。楽器編成で、管楽器演奏者の7割が女性だったのには驚いた。弦楽5部演奏者の男女比が半々。

 曲目は共にポピュラーな、イ長調のクラリネット協奏曲イ長調と交響曲第40番ト短調という妥当な組み合わせ。協奏曲奏者は東京交響楽団の首席クラリネット奏者、フランス人のエマニュエル・ヌヴー。第1楽章は管弦楽団もクラリネットも強弱のめりはりがしっかりしていると感じた。第2楽章に入る前に、長い時間をとっていたが、リードの締め直しだろうか?第2〜第3楽章は情感豊かで満足できた。

 交響曲第40番にはフルート2本が入っていないものと、後からモーツアルトが書き足したものがあるそうだが、この日の演奏は後者。ポーランド人クシュトフシ・ウルバンスキは32歳と若く、指揮は端正で音は確実なもの。米国では「若き日のカラヤン」に比べる向きもあるとのことだが、けれんみは感じられない。

ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団による夜の演奏会:

 席は2階の一番前で、指揮者の右手にあたる位置で、悪くない。
曲目は、まずハイドンの交響曲パリ・セットの一つ第85番「王妃」。マリー・アントワネットが好んだために、この名があるとのこと。僕はこの曲をアダム・フィッシャー指揮のオーストロ・ハンガリー・ハイドン・オーケストラのCDで聞きなれているが、典雅な曲である。

ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団

ボールトン

シュタットフェルト
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 次にモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調。休憩の後、交響曲第41番ハ長調。モーツアルトのピアノ協奏曲で短調は、第20番と第24番のみ。第20番の第1楽章は強烈なインパクトがあるため、映画「アマデウス」の劇的な箇所で、おなじく短調の交響曲第25番とともに使われていたと記憶するが、記憶違いかも知れない。たしか第2楽章は「アマデウス」のクロージング・クレディットのバックになっていた。

 ピアノのシュタットフェルト(ドイツ人)はバッハのゴルトベルク変奏曲をCD録音したとき、伝説的なグレン・グールドによる1955年録音に比較されたというので、何か変わったことが起こるかと期待したが、演奏は楷書的だった。

 指揮のボールトンはイギリス人で2004年からこの楽団の首席指揮者。明るい性格で団員をよくつかんでいるとの印象を与えた。僕の横にいた聴衆の一人は「応援団長みたい」と評していた。第2ヴァイオリン、ヴィオラ、ファゴットにそれぞれ1名ずつ日本人らしき奏者がいた。アンコールの直前に、コンサートマスターが第2ファゴット奏者を「38年前に日本からザルツブルグに渡った彼にとって今日の演奏がこの楽団員として最後」と紹介した。

 交響曲第41番は力強く高揚感があるため、大編成と錯覚するし、音楽書にも「大編成になる」と説明したものがある。が、管はフルート1、オーボエ2,ファゴット2, ホルン2、トランペット 2である。この日の演奏では、ホルンの1つはナチュラ・ホルン、トランペットは2つともナチュラル・トランペットであるように見えた。

モーツアルトの交響曲演奏:

 僕が高校生・大学生の頃はブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の39,40,41番のLPレコードを愛聴しており、その優雅な演奏が僕の標準としてしみついている。(ちなみにクラリネット協奏曲ではベニー・グッドマンとボストン交響楽団が僕の標準だった。)
 1980〜1990年代にアーノンクール(オーストリア)、ブリュッヘン(オランダ)、ホグウッド(イギリス)を指揮者とする古楽器仕様でヴィブラートを抑えた古楽派の演奏がでてきた。「モーツアルトの時代に忠実」ということよりも、個々の音がよく聞こえてすっきりしているという長所がある。ブリュッヘンと18世紀オーケストラのモーツアルト後記交響曲の演奏をYoutubeでみると、そのことがよく分かる。今回の東京交響楽団もザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団も、古楽派ではなく、現代楽器を使用した演奏であるが、カラヤンのように弦楽部を分厚く編成していないのですっきりとしている。

 僕がもっているモーツアルト交響曲のCDはカール・ベームとベルリン・フィルのもの。引き締まって力強い。解説書によれば、同じベームでもウィーン・フィルとの演奏は「ゆったりとして情緒豊か」ということだが、こちらはまだ聞いたことがない。ただ、ウィーン・フィルによる第41番はロンドンの ロイヤル・アルバートホールでオイゲン・ヨッフムの指揮の生演奏を聞いたことがある。その時は情緒豊かというより力強いとの印象があった。

モーツアルトの交響曲演奏:
以前天井が落下して名をはせたミューザ川崎シンフォニーホールであはるが。構造で感心したことがある。トイレが大きく便器の数が多い! 休憩時間に飲み物を買って飲む場所が広い。僕の経験ではクラシック音楽界の聴衆は老夫婦と女性が多いと思っていたし、ホール設計者小林洋子さんによると「音楽ホール設計者に女性は少ないが、クラッシク演奏会聴衆の7割は女性」だが、今回、昼(マチネ)も夜も、帯同者のいない中高年男性が多いと僕の目には映った。

以上