チャイコフスキーの後期3大交響曲を聴く
2015年8月 虎長

2015年7月12日(日)、横浜みなとみらいホールでロシア国立交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲4、5、6番を聴いた。指揮ヴァレリー・ポリャンスキー。

はじめに
 「チャイコフスキーの音楽は深みがない、重みがない」と軽蔑する向きもあるが、豪華絢爛で聴いて楽しめる。演奏する方も気持ちよいに違いない。クラシック好きの父の影響で、僕も、兄弟もクラシック好き。次兄から初給与の記念にプレゼントされたのは「くるみ割り人形」のEP。次兄は「白鳥の湖」「ピアノ協奏曲第1番」のLPももっていたので、チャイコフスキーは身近にあった。中学・高校時代は、ラジオで落語を憶えてしったように、チャイコフスキーの交響曲もラジオで憶えてしまい、LPを自ら買ったのはずっと後から。

 この演奏会に行く気になったのは、3大交響曲を一度に演奏するという珍しさから。宣伝文句には「昔なら、こんなにきついプログラムは労働組合に反対されて実現できなかっただろう」とある。指揮者が「ムラヴィンスキーの系統を継ぐ『爆演』型」とも書いてあった。

 モスクワには17のシンフォニック・オーケストラがあり、それぞれが改名をくりかえすのでややこしいが、ロシア国立交響楽団もその中の一つ。超一流ではないようだが、「ご当地もの」演奏はお手の物だろう。この楽団はショスタコーヴィチの息子マクシムが音楽監督を務めて父ドミトリーの多くの作品を発表した、ともいう。ショスタコーヴィチの後、ロシアに限らず世界的に凄い作曲家がでてこないので、音楽について書くとき、作品についてではなく、演奏について書く傾向が一般的となってしまう。なるべく、演奏の揚げ足取りのないように気をつけながら、感想を書く。

総合的感想
 轟音に圧倒された。席が前から9番目。舞台に近ければよいというものでもない。通常、「序曲」「協奏曲」(15分休憩)「交響曲」というプログラムが多いが、この構成は、7月9日〜27日の日本ツア14回中4回のみ。あとの10回は3つの交響曲を2回の15分休憩をはさんで演奏。しかも場所を変えて4日連続もあるすごさ。クラシック鑑賞初級者の学生を夏休みに集める意図もあったのだろうか?

 3曲とも大傑作であり、僕の好きなもので大いに楽しんだが、プラス・アルファがあった。それは何か? 大音響の爽快感。「スラブ行進曲」「1812年」のようなエンターテインメント系を聴いたときの爽快感である。 こう書くと「ガンガン鳴らすばかり」と誤解されそうだが、そうではない。指揮者ポリャンスキーはもともと合唱指揮者だったそうで、今回オーケストラ―の各パートに次々とメロディーを「歌わせて」いく、例えば第4番と第6番の第2楽章の指揮は実にうまかった。チャイコフスキーは優れたメロディー・メイカーである。管弦楽曲でも、歌詞をつけて歌いたくなるようなメロディーが多い、という意味だ。

 僕の席は舞台に向かって右端で、コントラバスとチューバの真正面にあたった。古典派にはないチューバの音がもろにぶっつかってくる。ちなみに前すぎる席から見えた演奏者は、弦楽部を除くと、このチューバと、3つのトロンボーンの中の1つ、それにティンパニーだけだった。



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曲別の感想
第4番:第1第2楽章が短調、第3第4楽章が長調で、「暗から明へ」特にピチカートの第3楽章から爆発的な第4楽章に入るところが好きだ。ここは大いに堪能させてもらった。第4楽章の指揮は落ち着いてメリハリがあった。残念ながら第1楽章で、ホルンが1度おかしな音を出し、フルートがやはり一度だけだが力みすぎてつぶれた音を出した。ソ連では西欧からよい管楽器が入らない悩みがあったそうだが、今はそんなことはないだろう。ホルンは非常に難しい楽器で、N響を客演に来た外人指揮者が、ホルン奏者に何度も、あるいは実演間際まで練習させたという話はよくきく。

第5番:中学・高校以来、3つの交響曲の中で一番好きなもの。どの楽章にも親しみやすいメロディーがある。当時この曲をラジオで聴きながら指揮の真似ごとをしたものだ。第1楽章が短調、第2第3楽章が長調、第4楽章が長調・短調・長調で、「運命の動機」が「暗から明に」なるところは第4番と同様。今回の演奏中、最も好演で聴衆の拍手も一番大きかった。第2楽章のホルン・ソロを含め、金管・木管ともに今度は好調。演奏後、指揮者が特に管楽器奏者を立たせた。久しぶりに、僕も指揮をしてみたい感動を覚えた。蛇足を一つ。第4楽章で全体休止になるところがあり、昔はここでまちがえて拍手をする聴衆が必ずいたものだ。さすが、いま時の聴衆は耳が肥えているから、それはなかった。指揮者も「止めるぞ」とばかりに片足を意識的に踏み込んだことも「間違い拍手」を起こさせない工夫だったように思える。

第6番:有名な「悲愴」。僕も3つの交響曲の中では、最も昔(子供の頃)から聞き覚えのあるもの。第2、第3楽章が好きで、第1楽章は「嘆き」といっても甘美なところは嫌いではない。レコードやCDではよく聴き取れないことのある、中低弦のアダージョの序奏がよく聴こえた。自分の席の位置の関係かと思ったが、あとでずっと後方の席の人の「よく聴こえるユニークな演奏だった」と感想を読んだ。第4楽章はアンダンテ版もあるそうだが、今回は一般的なアダージョで演奏された。昔、ナチの蛮行の映画で、ユダヤ人の死骸の山の映像のバックに、この第4楽章が流れていた。今でも曲から、あの映像を思い出してしまう。第4楽章は絶望的で、僕はあまり好きではないが、このような第4楽章があればこその「悲愴」でしょうね。作曲者はスコアに「熱情」を意味するロシア語の「パテティーチェスカヤ」と書き込む一方、作曲者がつけた副題はフランス語で「悲愴」を意味する「パテティーク」とのこと。第4楽章は沈黙の後に終わる。音が鳴り終わってからの沈黙の時間も曲の一部。指揮者がどのくらい沈黙を続け、聴衆がどこの時点で拍手を始めるかは、指揮者と聴衆のアウンの呼吸に依存している。今回は、これがピタリと決まった。
ついでに:
3大交響曲をCDでは、ドイツ・グラモフォンのムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのステレオが一番。実演You Tubeで僕が視聴しているのは第4番:フェドセイエフ指揮モスクワ放送交響楽団。第5番:ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場オーケストラ、カリスマ指揮者にしてはまともな演奏。第6番:カラヤン指揮ウィーン・フィル、目を閉じた指揮は好きではないが演奏はよい。

以上