「ホイッスラー展」を観る

2015年2月 虎長

 昨年12月6日より今年3月1日まで横浜美術館で開催された回顧展を、ある土曜日の午後に観てきた。館内の入場券売り場の手前で横浜ベイ・オーケストラのメンバーによる木管5重奏の30分間の演奏がはじまるところ。ホイスッラーは音楽用語を絵の題名に多く使っていることもあり、それにちなんでクリスマス前に、この種の無料演奏会が数回あったのは知っていたが、この時期に生演奏に接することができて得をした気持ちになった。

[はじめに―今回の展示を観る前のこと]
 ホイッスラーの絵でかなり以前に観て覚えていたのは、ロンドン、テイト美術館の「白のシンフォニーNo.2 小さなホワイト・ガール」(1864。油彩・カンヴァス。この展覧会でも目玉として展示。Fig 1) と、彼の最も有名な、パリ、オルセー美術館の「母の肖像」(1871。油彩・カンヴァス。今回展示なし。Fig 2 )。
 昨年、三菱一号館でのザ・ビューティフル展で、「ノクターン:黒と金―輪転花火」(1875。油彩。今回展示なし。Fig 3)、「ノクターンーバタシー地区からみたテームズ川」(1887。リトグラフ。今回も展示あり。Fig 4) を見て、上述の初期人物画との作風の違いに驚いた。「輪転花火」は美術評論家ラスキンが「絵の具をぶちまけた」と酷評し、ホイッスラーが名誉棄損で訴訟を起こしたもの。「バタシー地区からみたテームズ川」 (1878。リトティント。今回も展示あり。Fig 4)は茫洋とした夕景色。テームズ川、ヴェネチア、アムステルダムの水辺の風景を描いたエッチングは、細部まで精緻を極めたものだが、生き生きとしおり、思わず「うまい!」と感心した。ザ・ビューティフル展では10点だったが、今回はこの種のエッチングを豊富に展示。


Fig1

Fig2

Fig3

Fig4
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 やはり昨年、世田谷美術館で開催された「ボストン美術館―華麗なるジャポニスム展」では、ホイッスラー作品としては前述の 「バタシー地区からみたテームズ川」と「オールルド・バタシー・ブリッジ」(1879。エッチング。今回展示あり。Fig 23)の2点のみを展示。後者は、広重の「岡崎 矢矧之橋」との簡潔な構図の類似性を示していた。

[今回の展示会の構成と感想]
 大回顧展である。日本で観客を集めるためにか、「ジャポニスムの巨匠」をうたい文句にしているが、実際は「人物画」「風景画」「ジャポニスム」の3分野にバランスよく分けて構成されている。
 ホイッスラーは、「芸術のための芸術」を主張。「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」としたことを念頭に置きたい。これはラスキンが作品に意義・内容を求めたのに対峙した意見である。

人物画:
 初期(1850年代後半)のものは、クールベのレアリスムの影響があると言う。「母の肖像」(Fig 2)にそっくりな「灰色と黒のアレンジメントNo.2:トーマス。カーライルの肖像(1872。油彩・カンヴァス。Fig 5)は、その頭部を橋口五葉が漱石の「カーライル博物館」の扉絵に向きを変えて借用。ベラスケスを思わせる「黒のアレンジメントNo.3:スペイン王フェリペ2世に扮したサー・ヘンリー・アービング」(1876。油彩・カンヴァス。Fig 6)は暗い。暗い人物画が多い中で、色調の異なる「黄色と金色のハーモニー:ゴールド・ガールーコニー・ギルクリスト」(1872。油彩・カンヴァス。Fig 7)が僕の印象に残った。水彩画の人物画では「パラソルをもった裸の少女」(1886。Fig 8)のような明るいものもある。リトグラフの人物画では妻とその妹が多く、線とコントラストが明瞭。


Fig5

Fig6

Fig7

Fig8
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風景画:
海辺、川辺の風景が多い。彼は風景の正確な描写でなく、「芸術的な印象」を色彩の相互作用によって表現した、と言われる。その嚆矢はレアリスムから離れる転機となった「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」(1866。油彩・カンヴァス。Fig 9) だ。ただ「テームズ・セット(エッチング集)」では正確な描写がなされており、印象は画面構成を吟味して描くことによってなされたと僕には思えた。おなじエッチング集でも「ヴェニス・セット」(1点をFig 10に示す)では正確な描写よりも神秘的なトーンを出すのに専念したのではなかろうか。1880年以降の水彩風景画(1点をFig 11に示す)は、淡くも温かみのある筆致で、同じ画家でもいろいろな描き方をするのだなあ、と感じた。


Fig9

Fig10

Fig11
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ジャポニスム:
 周知のとおり、一般には日本絵画の色調・構図から影響を受けたジャポニスムと、異国趣味を題材としたジャポネズリとがある。ホイススラーの場合、東洋趣味を描いたものは「オリエンタル・ペインティング」と呼んだそうだ。 「紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン」(1864。油彩・カンヴァス。Fig 12。)が、その最たるもの。「陶器の国の姫君」(Fig 13)もそうだが、今回は実物展示ではなく米国フリーア美術館にある「ピーコック・ルーム」(これもホイッスラー制作。Fig 14)と共に個室いっぱいの映像展示だった。
 「白のシンフォニーNo.2:小さなホワイト・ガール」(Fig 1)は、東洋の事物が描かれているので「ジャポニスム」に分類されているのか? 今回改めて気づいたことは、右の横顔と鏡に映った顔のアンバランス。「白のシンフォニーNo.3」(1865-67。油彩・カンヴァス。Fig 12)の変わった構図は浮世絵からの影響?


Fig12

Fig13

Fig14

Fig15
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 日本の絵画と欧米のものを並べて、前者から後者への影響を論ずるのは難しい。 牽強付会に過ぎれば、われぼめ症候群」に属する行為とみなされよう。かと言って、「こじつけだ」とすべての比較を排除したのでは、相互関係がとらえにくくなる。その点、昨年の「華麗なるジャポニスム展」は節度を保った比較解説をしていた。今回のホイスッラー展も、影響が明瞭でない場合は、「参考にした可能性は大いにありうる」などの表現をしている。

 「肌色と緑色のヴァリエーション:バルコニー」(1864-70。Fig 16。ただし今回出展は1864の水彩習作)は題材も和風(遠景はテームズ川?)であるし、鳥居清長「品海潮干」(Fig 17)からの構図の借用は明白だ。けれども人物は浮世絵的ではない。ホイッスラーは金子堅太郎に対して、自然物に一種の美術の思想を与えたのは日本の美術家である、としながらも「人物の点に至っては遺憾ながら発達しておらぬ」と発言している。
 ホイスッラーは、「美の物語は。パルテノンの大理石が刻まれ。北斎が扇の富士山の麓に鳥の刺繍をした時にすでに完成している」と講義でのべている。「三人の女性:ピンクと灰色」(1868-78。油彩・カンヴァス。Fig 18 )のように日本趣味の題材でも、人物の描き方は古代ギリシャ風である。


Fig16

Fig17

Fig18
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 「ノクターン:青と金色―オールド・バターシー・ブリッジ」(1872-75。油彩・カンヴァス。Fig 19)は構図のみならず、青のグラデーションンも広重の「京橋 竹がし」(Fig 20)の影響が見られる。 「艀」(1861。エッチング。Fig 21)は広重の「見附天竜川図」(Fig 22)と比較されている。前者が後者を真似たものかは定かでない。対象物の艀・船を画面の端で切断したのは共通するが、「艀」の右端の人物が、誇張して大きく描かれ、画面がアシンメトリックになっているのは、他のいろいろな浮世絵からの影響だろう。
 「オールド・バターシー・ブリッジ」(1879。エッチング。Fig 23)は、今回は広重の「京都 三条大橋」(Fig 24 )と比較されていた。


Fig19

Fig20

Fig21

Fig22
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[展示会から帰宅して調べたこと]
芸術品は作者の生活・生涯とは独立に観賞すべきだろう。ホイッスラーのように絵画にテーマを求めることに反対し、「芸術のための芸術」を目指した唯美主義画家の場合は特にそうだと言えよう。

それでも興味を憶えて調べたことを最後に記す。

ホイッスラーは日本へ行きたかったのか?:
ゴッホのように浮世絵の模写はないホイッスラーだが、日本へ行きたかったのだろうか? 彼より若い追随者の一人が日本へ行ったことを羨んだという話がる。やはり行きたかったのだろう。しかし興味深いもうひとつの話がある。オスカー・ワイルドはホイッスラーに手紙を書き「一緒に日本へ旅行して日本についての本を共同執筆しよう」と提案したが、返事はなく、この旅行は実現しなかった。唯美主義を説いて回った作家オスカー・ワイルドはホイスッラーの芸術をなかなか理解できなかったが、この二人は互いに頻繁に接触していたのだ。

ヘンリー・ジェイムズとホイスッラーの接点はあったのか:
ホイスラーはアメリカ人であるが、活動の場はパリとロンドンで、特にロンドン滞在が長い。やはりアメリカ人で英国での活動が長かったヘンリー・ジェイムズは同時代人である。両者の接点はあったのだろうか?
あった!
1) ヘンリー・ジェイムズは、ホイッスラーがラスキンを訴えた裁判をアメリカの雑誌に報告している。ラスキンが酷評した「輪転花火」は彼も観ていたが、やはり理解できなかった。抽象画に似ていなくもない。ホイッスラーを高く評価するまでに20年を要したという。
2) もう一つ間接的な接点が見つかった。グラフィック・デザイナー、ブラッドベリー・トンプソンがブック・デザインを手掛けたヘンリー・ジェイムズの「デイジー・ミラー」の挿絵に、ジョン・シンガー・サージェント(やはりアメリカで生まれロンドンを活動の場にした画家)とホイッスラーの作品(Fig 25) が挿絵として使用されている。ホイッスラーが「デイジー・ミラー」の挿絵を描いた訳ではない、念のため。

ホイッスラーに影響を受けた日本の画家:
英国に留学した南薫造の「夜景」「夜の河べり」(明治後半期)が明らかにホイッスラー風。面白いのは、明治前半期でまだホイッスラーが日本に紹介されなかった頃に小林清親が描いた「開花之東京 両国橋」(Fig 26)が、ホイッスラーの「ノクターン:青と金色―オールド・バターシー・ブリッジ」(Fig 19)によく似ていることだ。
以上


上Fig23 下Fig24

Fig25

Fig26
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