ボッティチェリ展を観る
2016年3月31日   虎長

 4月3日(日)まで東京都美術館で開催中の日本初の大回顧展を3月29日に訪れた。1,600円の入場料が65歳以上は1,000円となる。東京都は余裕があるのだろう。同日に訪れた国立西洋美術館には、このような割引がなかった。

はじめに:

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロとならんで、ボッティチェリもルネサンス期イタリアの巨人の一人と、中学の図工の授業で習ったが、この中ではボッティチェリが一番の年上ということを今回認識した。英国で「ラファエル前派」グループがあったが、ボッティチェリは、「ラファエロより(少し)前」ということになる。彼は当時フィレンツェで売れっ子ではあったが、その後数世紀忘れられ、19世紀に英国でペーター、ラスキンに評価されて以来、西洋美術史上重要な研究対象となったそうだ。 ボッティチェリというのは、大酒のみの長兄の綽名「小さな酒樽=ボッティチェリ」が弟にもつけられた、との会場の説明。後で調べると、この説は有力なるも次兄が金工師でバッティジェロとの職業名でよばれ、弟も同様に呼ばれたとの説もある由。

展示構成:

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロとならんで、ボッティチェリもルネサンス期イタリアの巨人の一人と、中学の図工の授業で習ったが、この中ではボッティチェリが一番の年上ということを今回認識した。英国で「ラファエル前派」グループがあったが、ボッティチェリは、「ラファエロより(少し)前」ということになる。彼は当時フィレンツェで売れっ子ではあったが、その後数世紀忘れられ、19世紀に英国でペーター、ラスキンに評価されて以来、西洋美術史上重要な研究対象となったそうだ。 ボッティチェリというのは、大酒のみの長兄の綽名「小さな酒樽=ボッティチェリ」が弟にもつけられた、との会場の説明。後で調べると、この説は有力なるも次兄が金工師でバッティジェロとの職業名でよばれ、弟も同様に呼ばれたとの説もある由。

第1章 サンドロ・ボッティチェリの時代のフィレンツェ:メダルやカメオなど小工芸品展示が最初にあり見学者の行列が滞った。後述のフィリッポ・リッピの後の師であるベロッキオ、影響を与えたポッライオーロの作品も第1章に展示。

第2章 フィリッポ・リッピ、ボッティチェッリの師:  自然研究による写実技法の探求をボッティチェッリに指導。弟子より「可憐」な作風。

第3章 ボッティチェッリ, 人そして芸術家:  当時「男性的」な画風といわれたらしい。今回展示のない、最も有名な「春」「ヴィーナスの誕生」の印象からは、「男性的?」と思うが、「フィリッポ・リッピやフィリピーノ・リッピとの画風比較の上では」そう言えるかもしれない。会場の説明では「男性的とは理知的・合理的のこと」と書いてある。晩年はサボナローラ信奉者となり、豪華で異教的な絵は描かなくなった。
第4章 フィリピーノ・リッピ、弟子からライバルへ:  フィリピーノ・リッピはフィリッポ・リッピの息子で、ボッティチェッリの弟子。ライバルになったといっても、フィリピ―ノはボッティチェッリを尊敬し続けたとう。画風は「甘美」といわれているが、会場の説明では「甘美=豊かな表現が潤沢」としてある。

印象に残った作品:

美しきシモネッタの肖像 (Fig1):  今回の呼び物の一つ。所有者の丸紅が購入したのはいつか、会場には説明はなかったが、調べてみると1970。意外にもバブル期ではない。モデルはメディチ家のロレンツォの弟、ジュリア―ノの愛人で、ヴェスプッチ家の女性。高校の世界史で、アメリカの語源となったアメリゴ・ヴェスプッチの名前を記憶されている方もあろう。調べてみると同じ家系で同時代人だ。vespa(すずめ蜂)を意味する家名で家紋も蜂だそうだ。英語ですずめ蜂をwaspというが、vespaが語源。シモネッタは日伊同時通訳の田丸公美子の自称だが、もとは下ネタ名人日露同時通訳の故米原真理が自分の綽名を、下ネタを連発する田丸に譲っもの。話を絵画にもどそう。 美しい肖像画だが、補修されて原画と多少異なっている由。隣にシモネッタ説のある「女性像」(Fig2)があるが、別人の気がする。

Fig 1

Fig 2

Fig 3

Fig 4

Fig 5

Fig 6
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バラ園の聖母(Fig 3) : フィリッポ・リッピ(Fig 4 「聖母子」)の影響がうかがわれるが、より洗練されている。 聖母の表情の「憂い」は共通する。 ボッティチェッリは美しい女性を描いた。「結婚しなかったので、女性への憧憬が表現力を高めた」と評する人もいるようだが、どうだろうか? シモネッタは「春」の女性と同系統に見える。「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスも同系統かと思ったが、ヴィーナスの表情には「恥じらい」がある。この絵の「憂い 」も同じ「哀愁」というボッティチェリの一つの特徴と思われる。「バラ園の聖母」にはイエスの磔刑を暗示する柘榴が描かれており、聖母の「憂い」はそのためでもある。

書物の聖母 (Fig 5): これも本展の呼び物の一つ。イエスは左手に荊の冠と十字架の釘を持つので、聖母の表情に「憂い」があるのだろう。全体として甘美な詩情がある。それにしても聖母の衣服の青に目をうばわれた。フィリピーノ・リッピの「キリストトを礼拝する聖母」(Fig 6)の衣服の青もまたすばらしい。

書斎のアウグスティヌス (Fig 7) : ボッティチェリの画風が「男性的」と言われたこともうなずける。この作品ほど壮大な作風を示すものは前にも後にもなく、 素人目には「ボッティチェリらしくない」と思わせる。衣服の襞が堅い。


Fig 7

Fig 8

Fig 9
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ラーマ家の東方三博士の礼拝 (Fig 8): これはウフィツィ美術館で観た憶えがある。当時、人物のモデルの身許しらべに興味が行ってしまった。右端でこちらを見ている人物がボッティチェリ自身というのが通説だが、肯定する証拠も否定する証拠もないそうだ。病弱だった彼にしては凛としているので自分自身の理想像を描いたのかもしれない。「身元詮索」が話題になるほど、肖像描写の優れた技能が、各人の特徴をつかんでいるのだろう。

パリスの審判(Fig 9) : よく知られた画題であり、いかにもボッティチェリらしい華やかさがある。

オリーブ園の祈り(Fig 10): ボッティチェリにはカトリック的宗教性と異教性とが同居。この絵は前者を表すもので、画家の神秘的幻想がこめられている。


Fig 10

Fig 11

Fig 12
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誹謗 (Fig 11): 古典的感覚が残り、写実に配慮されているが、「春」、「ヴィーナスの誕生」のように音楽が聞こえてくるような絵画の魅力はない。生硬な感じがする。古代ギリシャで失われた絵画の再現を試みた寓意画で後の神秘性ものぞかせる。誰が何を意味するかは、「東方三博士」の身元詮索ほど複雑でないのでFig 12に示す。

以上