「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」展を観る

2015年4月 本多

 東京藝術大学美術館で5月17日まで開催の展覧会を観た。幸い、同美術館准教授 古田亮さんの1時間40分の講義も聞くことができた。「美術展にはおばさんの来場者が多いのが通例であるが、本展は美術と歴史に光を当てているためか男性の来場が多い。」とのこと。そうか、歴史への興味は男性の方が高いから、わざわざ「レキジョ」なる言葉ができたのかもしれない。

 ダブル・インパクトとは、「ボストン美術館収蔵品」と「藝大収蔵品」とのインパクトという意味がある。前者はアメリカ人が好むものを集め、後者は学生の教育のため藝大関係者の作品を中心に保蔵したという違いがある。従い、両者にオーバーラップが殆どない、ということが興味深かった。ダブル・インパクトのもう一つの意味は「西洋文化・美術の幕末・明治期日本へのインパクト」と「西洋への日本美術のインパクト」とのこと。前者は日本における油絵習得・発展と、日本画の改革をもたらした。後者については、本展では、アメリカ人を驚かせ、喜ばせた日本の美術品(日本側は必ずしも美術品の自意識があったわけでないものも含め)の特徴を示すことが主眼であり、西洋人によるジャポニスム的な作品の展示はない。日本で絵画・彫刻を教えた人々の作品は少数、藝大所蔵のものからの出展があった。

展覧会の構成:
 歴史的に構成され各期の特徴が示されていた。第1章不思議の国JAPAN。第2章文明、開花せよ。第3章西洋美術の手習いたち。第4章日本美術の創造。第5章 近代国家として。ただし本レポートでは歴史を追うのでなく、アット・ランドムに感想を述べる。

ボストン美術館:
 本展は藝大と名古屋ボストン美術館の共同企画による。昨年僕が観た「華麗なるジャポニスム」展もボストン美術館所蔵品によるものだった。45万点の所蔵品のうちの10万点が日本のものといからすごい。フェノロサやビゲローが指導に滞日し、岡倉天心がボストン美術館に勤務したことが大きいが、その後もアメリカ人個人収集家からの寄贈も多く、今でもボストン美術館は日本美術品収集を旺盛に行っているとのこと。

米国人が好んだもの:
 博覧会に出展した日本人は欧米人が「工芸品」に興味を持つことに気づき、工芸品の輸出に力を入れた。その際、サイズを大きくするとか、デザインを欧米人好みにすることもした。鈴木長吉「水晶置物」(Fig 1) の龍と波を表した台座がそうであり、内国博覧会用に作られ今はボストン美術館にある、柴田是真の「額縁つき」蒔絵盆(Fig 2)もそうだ。 日本人が作っている限り、僕の目には異様には見えない。欧米人が、オペラ「蝶々夫人」オペレッタ「ミカド」のためにデザインした異様な「日本」衣装から受ける印象とは異なる。
 河鍋暁斎の絵(一例Fig 3)は、日本では近年見直されているが、明治期には欧米人が、たぶん、その奇抜さで好んだのに違いない。

 明治の錦絵(一例Fig 4)は、日本では現在のグラビア雑誌のような消耗品で、「美術品」扱いはされていなかったが、ボストン美術館では数多く集められている。日本では1960年代に、横尾忠則が明治錦絵に似たものを描いて人気があった。近い将来明治錦絵の日本での人気回復があってもおかしくないだろう。

Fig1

Fig2

Fig3 地獄太夫

Fig4 井上安治 東京名所従吾妻橋水雷火遠望図
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芸術品?:
 目で観る美術は、絵画・彫刻に限らない。現代美術では、インストレーション というものもあり、デュシャンの「泉」(便器)がある。そういう意味では、「現代美術展」に出してもよいと思われるものがあった。一つは高橋重義の大きな金属置物「竜自在」(ボストン美術館 Fig 5)で、形を自在に曲げられる。もう一つは元来根付職人の旭玉山による「人体骨格」(Fig 6)。30cmほどの小さな骸骨の標本のようなもので、自在に動く。彫刻作品として認識されていたらしい。

 柴田是真による天井画用の下絵(Fig 7)は、僕が本展で最も感動を覚えたもの。工芸品にして芸術品、アールヌーボー的な優雅さだ。

Fig5

Fig6

Fig7
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日本人による油絵:
 高橋由一は先陣として苦労したようである。子供のころ本で「鮭」を見て感心した。今回展示の「花魁」(Fig 8)はかつて東京国立近代美術館で観た気がしたが、藝大所蔵とのこと。簪の質感がすごい。モデルは22歳くらいというが、現代の目からはもっと年取って見える。高橋と同じく英国人ワーグマンの弟子である五姓田義松(自画像Fig 9)は高橋より才能があったというが、僕は今回初めて知った。高橋をフランスに留学した黒田清輝(一例Fig 10)と比較するのは酷であろう。やはりフランスに留学した山本芳翠の絵(一例Fig11)も藤島武二の絵も西洋人が描いたものと変わりない。

日本画:
 本展で驚かされた日本画は、小林永濯がフェノロサに会う前に描いたという「菅原道真天拝山祈祷の図」(Fig 12)で、伝統的な静謐な日本画とは異なるエキセントリックなもの。エル・グレコ的なところがあるとの説明もあった。古田准教授の講義によれば、当時の雑誌に、菅原道真を主人公とする舞台劇があり、マグネシウムを炊いて観客を驚かす演出がなされたとの記事があり、関連がありそうだとのこと。小林の後年の絵はやや伝統回帰で面白味がない。

Fig8

Fig9

Fig10

Fig11
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 僕が子供の頃は横山大観が存命で「ごはんの代わりに酒を飲み富士山ばかり描いている」印象が強かった。美校卒業作品(Fig 13)は「真面目」である。菱田春草の美校卒業作品(Fig 14)は本展後期出展のため、前期に訪れた僕は見られなかったが、昨年秋の菱田春草展(東京国立近代美術館)で観て感動したので、特にここに取り上げる。 なぜか僕はピカソの「泣く女」「ゲルニカ」を連想したのだった。「化け物」と評した美校の教授もいたが、岡倉天心と橋本雅邦はこれを高く評価したという。日清戦争の戦争未亡人を感じさせ、反戦家岡倉天心が感心したことが想像される。横山と菱田は、その後、輪郭を線描しない描き方へ移っていくが、これは日本では「朦朧体」と呼ばれ評判が悪く、アメリカではよく売れたからボストン美術館所蔵も多いというから面白い。ホイッスラーを中心としたアメリカン・とーナリズム(色調主義)の流行、ターナーに始まる英国の風景表現と共通する特徴を朦朧体が持っていたことが背景にあるという。

Fig12

Fig13

Fig14

Fig15

Fig16

Fig17
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 狩野芳崖の「悲母観音」(Fig 15) は、僕が幼い時に兄か姉が持っていた分厚い日本史参考書に色彩の挿絵が一頁を飾っていたのでよく覚えている。本展では岡倉秋水の模写(Fig 16)とならべてあり、可哀想にも「色使いのコントラストが強く、やや単調」との解説があった。それより僕には秋水の観音の目が赤子の目をむいておらず、赤子の目が観音の目をむいていないのが、芳崖との比較で気になった。

国粋的作品:
 反戦思想家である岡倉天心は、しかし「歴史画は国体思想の発達に随いて益々進行すべきもの」とし、日本神話による絵画・彫刻を奨励した。今回出展の中で存在感のあったのは、竹内久一の「神武天皇立像」(Fig 17)。

以上