カラヴァッジョ展を観る
2016年4月15日 虎長

 4月13日づけ日経の夕刊に、「フランスの民家で見つかった絵画を鑑定したら150億円相当のカラヴァジョの傑作」との記事が出た。この記事に触発されて本展に行った訳ではない。既に3月29日に上野で、ボッティチェッリ展と共に展覧会のハシゴ訪問をしたのだが、本展の観賞報告が後回しになったのだ。

 「カルパッチョはお料理ね。カラヴァッジョと紛らわしいけど」これは展覧会スタート地点での初老夫婦による会話。僕は「いや、カルパッチョも元は画家の名前で、1950年頃、料理のカルパッチョが発明された時、その色合いがカルパッチョの絵の色使いに似ていたので、そのように命名したのですよ。」と教えてあげたかったが、余計なお節介なのでやめておいた。
 話が横道にずれた。この報告書はカラヴァッジョの絵画についてである。

はじめに:
 ボッティチェッリとカラヴァッジョの没年は夫々1510年と1610年。カラヴァッジョは、バッロク絵画の創始者といわれる。ルネサンスから派生して停滞していたマニエリスムに反抗し実物そのままに描く自然主義と明暗法 (イタリア語でキアロスクーロChiaroscuro)が特徴。

 カラヴァッジョに影響された同時代あるいは少々下った時代の画家たちをカラヴァジェスキと呼ぶ。影響はフランドルにもおよび、カラヴァッジョなかりせば後代のレンブラント、フェルメールもなし、といわれる。本展はカラヴァッジョ作と判定された絵画11点と、カラヴァジェスキの作品40点が揃えられ、見応え十分。「感銘」というより「衝撃」を受けた。6月12日まで開催なので国立西洋美術館に足を運ぶことをお薦めする。

 彼の絵は、型破りで、宗教画のモデルに娼婦などの市井の人を使った為、個人の注文主はともかく、教会での採用に異議がでたことも屡だった。人生も型破りで暴力、殺人も犯した。本展では当時の分厚い調書がローマ国立古文書館から6点も取り寄せられている。 当時画家の派閥による暴力事件はよくあったというが、「これはバター炒めか、オリーブ炒めか」との質問に「自分で臭いをかげば分かる」と答えたレストランの男に、炒めものを皿ごとぶつけて訴えられたというから、よほど短気だったのだろう。短気と緻密な描き方との関係は興味ある問題だ。絵画を描き上げるのが超スピーディだったのと短気=せっかち?とは関係あるかもしれない。驚いたのは、逃亡先でも傑作を描いていることだ。

印象に残った絵を展覧会の構成順に追ってみる。

第1章 風俗画: 占い、酒場、音楽:
「女占い師」(Fig 1)は色彩が明るく叙情的。若いころの作品だ。当時「動きがない」との非難もあったようだが、背景を単純化して対象を鮮明にしたのが斬新。この絵はローマ カピトリーノ絵画館からの出品。当人が再制作したものがルーブルにもあるが、本品の占い師の方が、よくかけていると思う。隣に展示されたヴ―エによる同テーマの作品(Fig 2)は、より粗野な雰囲気。

第2章 風俗画:五感:
「トカゲに噛まれる少年」(Fig 3)も、最初期の作品だが「動きがある。」ミケランジェロが「泣いた顔は笑った顔よりはるかに難しい」と言ったのに挑戦すべく、多くの画家がこのような絵を描いたそうだが、本作(フィレンツェロベルト・ロンギ美術史財団より出品)は痛みのみならず驚きの表現でずば抜けている。ロンドンのナショナル・ギャラリーでカラヴァッジョによるヴァージョンを観たことがあるが、本作の方が表情がよい。「ナルキッソス」(Fig 4)はトランプのように上下に分かれた構図が斬新。
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Fig 1

Fig 2

Fig 3

Fig 4

第3章 静物 :
ミラノのアンブロジアーナ絵画館で観た「果物籠」(今回出展なし)の「本物より本物らしい」緻密な描き方に驚嘆した覚えがある。一方、フィレンツェのウフィッチ美術館で「バッカス」(Fig 5)を観たときは、両性具有的な少年バッカスにばかり気を取られ、手前の果物をよく観なかった。今回再認識した。一方、「果物籠を持つ少年」(Fig 6) は実物を見るのは今回が初めてである。果物籠を克明に鮮やかに描き、少年を割とあっさり描いているので果物籠を全面に押し出している感じ。少年の顔はいかにもカルヴァッジョ的で印象に残る。

第4章 肖像:
マッフォ・バルベリーニの肖像」(Fig 7)は、衣服の皺がぎこちないが、理想化・類型化されず、表情はありのまま(特に目)の描写。
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Fig 5

Fig 6

Fig 7

第5章 光:
前述の明暗法Chiaroscuroを更に強烈・劇的な明暗コントラストにしたのがテネブリスムTenebrism (イタリア語Tenebro闇 が語源)。カルヴァッジョがその代表。暗闇=黒は、光の当たる場所を強調するためであるが、「カルヴァッジョは犯罪者で心が黒いから絵も黒い」と非難する者も当時いたそうだ。
出展の「エマオの晩餐」(Fig 8)は、以前ロンドンのナショナル・ギャラリーで観たヴァージョン(Fig 9)より、一層闇が強い。マンフレーディの「キリストの捕縛」(Fig 10)はよく描けていると思ったら、カラヴァッジョの絵(Fig 11。今回出展なし)を基に左右逆転したものだという。なるほど。 光源が明らかでないものが多いが、はっきりしたものもある。ホントホルストの「キリストの降誕」(Fig 12), ド・ラ・トゥュールの「煙草を吸う男」(Fig 13)などだ。
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Fig 8

Fig 9

Fig 10

Fig 11

Fig 12

Fig 13

第6章 斬首:
「メドゥーサ」(Fig 14)は楯型に立体的に描かれている。女性なのに両性具有的であり、ペルセウスに斬首されたあとでも人を殺す力があるという奇想的な話に、何とも写実的な恐ろしい表情を実現している。ボルジャンニの「ダヴィデとゴリアテ」(Fig 15)はカラヴァッジョの同主題の作品(Fig 16-今回出展なし)より暴力的迫力がすごい。
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Fig 14

Fig 15

Fig 16

第7章 聖母と聖人の新な図像:
カトリックは「対抗宗教改革」として聖人画を奨励した。カラヴァッジョの宗教主題は異端的ではないが、描き方が異端とみなされることもあった。「大衆的かつ清貧なリアリズム」に起因する。「洗礼者ヨハネ」(Fig 16)は、アトリビュート(所持物)で聖人名が同定されるが、今でも、その辺にいるような若者の姿が、闇から浮きあがっている。「法悦のマグダラのマリア」(Fig 17)はカラヴァッジョ作と同定されてから、今回が世界初公開。カラヴァジョが逃亡生活の果てに死の直前まで持っていた3点の自作の一つ。本展の呼び物だ。「洗礼者ヨハネ」同様、赤いマントが特徴的。モデルは庶民だろう。暗闇で肌が光っている。エクスタシーの表情、特にわずかに見える歯、細い目がすごい。鉛白で描いた涙は芸が細かい。ヴァラッロの「長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教」( Fig 18)は名画とは感じられないが、日本に関係あるので示しておく。11人がはりつけられており、残りの12人は手前で準備されていることになっている。あとの3人はイエズス会関係のため、この絵の対象外。
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Fig 17

Fig 18

Fig 19

スペシャル・セクション エッケ・ホモ:
ローマ総督ピラトの「この人を見よ」の場面。カラヴァッジョの本作(Fig 19)は、保存状態が悪く長い間価値の低い作品と見做されていたが、描きなおしの分析でカラヴァッジョの真筆とされたという。ピラトの描き方は感心できないが、キリストは処刑時の実年齢のように若く諦念の表情がよく描けている。チゴリの作(Fig 20)は、より伝統的な描き方で色彩が鮮やかだ。
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Fig 20

Fig 21

Fig 22

Fig 23

Fig 24

余談 フランスで発見された「ホロフェルネスのく首を斬るユディット」: 
このレポートの冒頭で触れた日経の記事をフランスの新聞Le Monde 電子版で確認してみた。発見は2014年で、カラヴァッジョ作と同定したのが最近。絵はFig 21のもの。これは、ローマ バリベリーニ国立古典美術館にある最も有名なもの(Fig 22)とは異なるヴァージョン。むしろフランドルの画家フィンソンのものとされていた、ナポリ銀行が買い。今はIntesa サンパオロ・コレクションにあるもの(Fig 23)に似ている。Fig 23よりFig 21の方がユディットの表情がよい。Fig 23の表情は邪悪すぎる。多分カラヴァッジョのFig 21をフィンソンが模写または模作したのがFig 23ではなかろうか。 それにしても、斬首という、傑作としても気持ち悪い絵を個人所有者は自宅の壁に飾っていたのだろうか? 美術館や展覧会で観る分には抵抗感はないのだけれど。

以上