ロンドン再訪
2012年5月31日

先週は仕事でロンドンに滞在した。出発前は温度20~21度との予報だったが、実際は25~29℃で、日差しがまぶしかった。昼間は公園で夏の服装で日光欲を楽しむ人々が多く、夜はWest EndやMayfair地区のレストランの屋外席が満席だった。

今が女王の戴冠60周年Golden Jubileeのためか、夏のオリンピックの時期を避けた一般観光客が海外から殺到しているのか、Weekdayの昼間も人が多い。 [Jubileeはラテン語のjubilaeus annusを通してヘブライ語のyobelに由来。Yobelは50年毎に奴隷を解放し農地耕作を中止するお祝いで、その時に吹いた雄羊の角笛をYobelと呼んだ。英国では50年目をGolden Jubilee, 25年目をSilver Jubilee, 60年目をGolden Jubileeと呼ぶ。以上Oxford語源辞典による。]

今回は昔のロンドンと違うと感じたこと、変わらないなと思ったことを、とりとめもなく書いてみる。前回訪問は2010年11月中旬で、その時との違いも感じたが、季節が異なるためかもしれないし、前回既に今回と同じように変化していたのに、それに気がつかなかったのかもしれない。

1) 中心地の道路が、main streetsから横に入ったところまで綺麗になった。オリンピックのためだろうか?
2) Main Streetsに並行する他の通りに、イタリア・スペイン・レバノン・トルコなどのレストランが増え、屋外に席を設けるところが多い。パリやブリュッセルを思わせる。若い客が多い。この賑わいは英国経済の不振を感じさせない。ロンドンと地方の格差が拡大したのだろうか?
3) Pubの外で大勢の人がビールをわいわい話しながら飲んでいる風景は相変わらずである。
4) 2010年11月の旅行記に、店の栄枯盛衰を書いたが、今回印象に残ったのは、Aquascutumのビルから、その名が消え、買収主のAustin Leedに代わっていたことだ。 昔Austin LeedはAquascutum向かいに、より小さな店をかまえており、格もAquascutumより下だった。Burberry’sは建物を改修中だった。新聞によると、Burberry’sは(Aquascutumと違い)アジア市場を狙って業績を上げたそうだ。
5) 中華街のレストランで僕が駐在中(1977~1984)に知っていた名前で、今も残っているのはChuen Cheng Kuと龍鳳だけで、他はすべて、当時日本人に最も有名だった利口福も含め、名前が変わっていた。経営が変わったのか、先代を継いだ世代が店名を変えたのかは分からない。もう一つの違いは、各店が点心(飲茶)を全面に出していることだ。昔は点心を出す店は数えるほどしかなかった。
中華街とは異なる場所にUp-marketの中華レストランも増えているようだ。その中の一つ、Hakkasanに行ってみた。予約をとるのが難しく。「6時か10時半にしてほしい」と言われた。小さな入口に比べ、地下のレストランが大きいのには驚いた。薄暗くナイト・クラブのようだ。ガラス越しにバーと厨房がそれぞれ見えるようになっている。伝統を引き継いだ創作料理と言ったところで、味はよかったが値段が高く、商用接待ならともかく、個人的には再度来たいとは思わなかった。しかし経験にはなった。帰り際に見渡すと客席は若い客でいっぱい。ただし、白人ばかり。
6) 1903年創立の書店Foylesは長い間「世界最大」と言われてきた。今も健在である。その横にあった書店、向かいにあった書店もなくなっていた。Foyles には「Manga」という書棚が2〜3列できていた。これは変化である。
7) Piccadilly CircusのHMVは健在なるも、CD,DVDの価格が安かった。ものによっては「たたき売り」の感あり。Oxford StreetのHMVは無くなっていた。
8) 食料品:百貨店Selfridgesの食料品売り場の品揃えが変わり元気がない。Selfridgesより格下のJohn Lewis地下のスーパーの方がやや品揃えが豊富だったのは意外。Harrodsの食料品売り場は相変わらずの盛況。昔からのスーパー、Tesco, Waitrose, Sainsburyは健在。しかし今回最も印象深かったのは現Austin Leedビルの近くにできた食料品店兼デリカテッセン「Whole Foods Market」どうもイギリスらしくないと思ったが、帰国後調べてみると米国系ということが分かった。米国系でも、日本に出店しているDean & Delcaは見つからなかった。Whole Foods Marketは日本に出店しているか知らないが、Londonのそれは豊富な品揃えで、欲しいものは皆あった。
9) 紅茶:Fortnam & MasonとHarrodsはHeathrow空港でも売っているし、日本でも有名だ。1980年代前半に「London Tea」というブランドのものが美味しいことを「発見」してお土産に買って帰ったものだが、いつの間にか店頭から姿を消した。1990年代にはWhittardがロンドン中心地に小さな店をいくつか出し、日本でも有名になった。今、ロンドンでの店の数は減ったようである。今回、他の出張者から教えてもらい同行したところはHigginsといって、もとはコーヒー店から始めたところで、今でもコーヒーと紅茶を扱っている。一番売れる紅茶はどれか聴いたら「日本人が買うのはBlue LadyというFruitの香の紅茶」とのこと品揃え。なぜかというと「JALの雑誌で紹介されたから」。僕の家内はFruit の香のTeaは好きではないので、土産にはこの店のある通りの名のついたDuke Streetを買った。ロンドンにはこの小さな店一軒しかないのに、日本には何と2軒店を出している由。日本橋と恵比寿の三越とのことだ。
10) 日本人より中国人の観光客が多いようだ。最近では道で「ニーハオ」と挨拶されることが多いのは英国に限ったことではないが。GreenwichへCutty Sarkを見学に行ったら、掲示板に中国語の案内があったが日本語のはなかった。はじめは「Cutty Sarkが1870年に中国からお茶を運んだからかな」と思った。2006年に改修を始め2007年大火災に遭ったCutty Sarkは今や新しい船同様となっているが、中にはお茶の箱を模したものだ置いてあり、中国語が書いてある。ところがGreenwichの天文台の掲示板にも中国語があり、日本語はなかった。Greenwichでは海洋博物館と天文台とに挟まれたところにオリンピックの馬術競技場を建設中だった。
話しは本題からそれるが、ウィスキーのCutty Sarkの由来を今回知った。Clipper船のCutty Sarkは1870〜1895年に英国に、前半は中国の茶、後半は豪州の羊毛を運んだが、ポルトガルに売却してしまった。1922年再び英国に買い戻された。米国の禁酒法解禁を狙って1923年に発売されたウイスキーが前年に戻ってきたCutty Sarkを記念して名付けられたという。禁酒法は、期待通りのタイミングで解禁とはならなかった。
11) 11) Thames川下流の景色が変わった。DocklandsにCITIBANK, HSBCの巨大なビルがそびえている。Docklandsへ至る川沿いは、昔が倉庫であったところが高級フラットになっている。

以上